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余がこんぴゅうたの由来 (4) [余がこんぴゅうたの由来]

2024年3月19日、突然何の前触れもなく愛用のPCが立ち上がらなくなった。
電源を入れるとHDDの駆動音は聞こえるのに、起動ディスクが見つからない状態。
これはHDDがイカれたかも、と書き溜めていた原稿の消失もカクゴした。だが、
紆余曲折あって修理業者に持ち込んだところ、なんとその場で即解決!?原因は
HDDの接続ケーブルの不具合だったらしい。問題のケーブルを交換してもらい、
その日のうちに元通りに!もちろん、データも消えることなく原稿も全て無事♪♪


というわけで、

PC復活記念で2回分の記事を 順次大放出します。
まずは、「余がこんぴゅうたの由来」の4回目の記事からお届けします。





 「マイコンの登場」  その2


マイコンの登場とともに、そこに搭載されたOS―BASIC(ベーシック)が
広く普及していきました。インタプリタであるBASICは、開発言語であると
同時に命令を即実行できる身軽さも持ち合わせていました。
それに、
FORTRANによく似た仕様のBASICはまた、TOQにも馴染みが深い。
だもんで、自然とBASICにハマっていくことになるのです。。




近所のデパートの家電を扱うフロア、その一角の「マイコンコーナー」には、
各社の最新の機種のマイコンがズラリと並ぶ。
その中の1機種の電源を入れる。と、本体につながれたモニタが明るくなる。
次に、本体とカールコードでつながれたキーボードに手をかけ画面を見守る。

まずは、マイクロソフトBASICのクレジットが表示された後、画面が消え
再び画面の最上部に
How many files(0-15)?
と1行文章が表示されて、カーソルが点滅。
それを無視して「改行キー」を叩くと、「ok」と表示され、準備が完了する。

次に
AUTO 10
と打つと、行番号「10」の行でカーソルが点滅して。入力待ちの状態になる。

それからはBASICのプログラムをひたすら打ちまくり、1時間後くらいに
RUN
と打つ。すると、画面には打ち込んだプログラムが描く華やかな図形が現れる、
ハズだったのが、、
ビープ音とともに
Syntax Error on LINE xx
と表示され「あちゃーまた構文エラーか」とつぶやくハメになるっっっ




実はTOQはナイコン族でした。これは家にはマイコンがないにも関わらず、
BASICの知識は持っているので、その場の機種を使いこなせてしまう人たち
のことを指します。以前にも書きましたが、次々と創刊されたマイコンの雑誌に
掲載されたゲームのプログラムをその場で打ち込んでは、起動して遊びまくる!
ちゃっかり組がよくいましたね。


もっとも、彼らが打ち込んでいたのは「ダンプリスト」という16進で示された
マシン語のプログラムが大半。ゲーム起動時の入り口部分だけがBASICで、
そこからマシン語で書かれたゲーム本体へとジャンプするものでした。
 なぜって、マシン語で直接書いた方が圧倒的に処理が速いに決まってるから。
 ゲーセンのようにリアルタイムに動くものを再現しようとするなら当然です。
 その代わり、ダンプリストを見てもゲーム本体のプログラムがどう書かれて
 いるのかを理解することはできません。

それに対して、TOQはひたすらにBASICのプログラムで、当時のラリーX
のようなゲームの再現を目指していました。実際、自分の車体の他にレッドカー
の動きも同時に制御しなくてはならないので、かなり長いプログラムのリストを
手書きで作成。それを持参して1行づつ打っては、動きを確かめていました。


といって、BASICの解説本を持っているわけではありませんでした。最初は
見よう見真似で短いプログラムを組み、難しい機能は本屋でN88-BASIC
の文法本を立ち読み、その内容を覚えておいて、家に帰ってからノートにメモ!
その繰り返しで少しづつBASICの知識を増やしていったのです。

そんなBASICのプログラムってどんなものなのか、実際にお見せしましょう。


<BASICプログラムのイメージ>
今、手元にBASICが動くPC環境を持っていないので、実際にうまく動くか
保証はできませんが、当時よくマイコンコーナを立ち去るときに、打ち込んでた
プログラムのイメージです。色が7色に変わりながら、三角形を描くので客寄せ
にもなるかな~とプログラムを起動しておいて、TOQのツメ跡を残したのです。
一旦起動すると、無限ループで動き続けるので、止めるにはBreak(ブレーク)
キーを押して停止するしかないのですが、、

 ―もちろん、
  電源を落とせば消えてしまうので、短くて覚えやすいプログラムがベスト。
  このくらいのステップなら、暗記するのも容易です。

====================================
10 CLS
20 FOR C=1 TO 7
30 FOR X=0 TO 639
40 LINE (320, 0) - (X, 339), C
50 NEXT X
60 CLS
70 NEXT C
80 GOTO 10
90 END
====================================




さて、各社が出していたマイコンの場合、内蔵ROMBASICインタプリタ
が標準で搭載されていましたが、実はBASICそのものはROM化される前、
ワンボードマイコンの頃からすでにあったようなのです。
ただ、実際にその機能を実現するためにはかなり高いハードルがありました。


まずは、特定のマシン語で書かれた何万ステップに及ぶBASICインタプリタ
のコーディングリストを、1ヶ所たりとも間違えることなく正確に打ち込むこと!
次に、入力用のインターフェースにはアルファベットが打てるキーボードが必須!
あ、出力用はモニタディスプレイに文字が表示できると最高だね ってそんな環境
実現できた人は数えられる人しかいなかったでしょうね。
当時、海の向こうではすでにコモドールのPETなどの機種で、この環境を実現
していました。

対して、海のこちら側の日本ではまだマイコン夜明け前。TK−80以前の段階。
せめて、コーディングリストを打ち込むことなく、一気にロードできたらなぁ〜
という声が大きかったからかどうかは知りませんが、誰でも(?)BASIC環境が
簡単に実現できるようにしようとした試みがありました。

実際I/Oの付録で、たしかターゲットのCPUがモトローラの6800向けの
Tiny BASIC(タイニィ〜)のソースコードリストと、ロード用のプログラム
配布された号があり、TOQは持っています(今、お見せできないのが残念です)


えっ、プログラムをどうやって読者に配布したのかって?


カンサスシティタイプカセットインターフェースと呼ばれていた仕様に従って、
プログラムを音声データに変換したもの「ソノシート」に収録されていました。
その当時は、ソノシートが安価に配布できる唯一のメディア媒体だったのですよ。


ですが
これが後に、BASICプログラムをカセット販売するということにつながるのです。
標準でカセットインターフェースを装備しているのはシャープMZ−80Kだけ
でしたが、確かオーディオケーブルを接続すると、その他のマイコンでもカセット
からプログラムを本体にロードできたような気がします。

 カセットの再生ボタンを押すと、データの音声を聴くことができましたっけ。
 ピー~ヒョロヒョロヒョロヒョロ ガーッガガーッ
 で、ちょっと巻き戻して頭のピーのところで一時停止。本体の方から読込みの
 コマンドを投入。と同時に、一時停止解除。ただ、タイミングが悪いと
 Skip
 と表示されてうまく読み込めない!再びテープを巻き戻して、何度かやり直し
 Found xxxx
 と表示されたら、ようやく読込みが始まる。
 今思うとかなり、微妙なタイミングでしたね〜。




ところが、こんな風にBASIC主体だった時代はそう長くは続きませんでした。
出始めこそ、ごく一部の人がその価値を認めて手に入れていたマイコンでしたが、
5インチフロッピードライブが搭載されるようになり、ソフト販売が開始される。
最初はゲームばかりだったけど、独自辞書を持つ漢字変換ソフトなんてのも登場。

やがて、16ビットが主流になると、業務に使えるソフトがもっと充実してくる。
8ビットマイコンの時代はついに終焉を迎え、呼称も「マイコン」⇒パソコン
という言い方に変わっていきました。それと共に標準搭載されていたBASIC
もその役目を終えました。

同時に
デパートのPCの前にタムロしていたプログラムキッズたちの姿も消えたのです。


 (「マイコンの登場」 了)  (「職業プログラマーへの道」へと続く)
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余がこんぴゅうたの由来(3) [余がこんぴゅうたの由来]

これから「余がこんぴゅうたの由来」の3回目の記事をお届けします。

TOQが、現在までと続くコンピュータ業界に足を踏み入れるようになるまでの変遷を
振り返っていくこのシリーズ。その昔、コンピュータと言えば「電産室」におわします
大型汎用コンピュータしかなかった時代から1980年代に入ると、ついにマイコン
(=今日のPCの祖先)の時代が到来します。今回は、そのマイコン登場のあたりまで
を書きますが、、その前にひとつだけ、個人的な思い出話 をさせてくださいネ(^o^)/




前回の(2)で語りまくった「コンピューター講座」ですが、
番組内で端末として使われていたのは電電公社謹製の「テレタイプ」でした。
それを打つところを毎週のように見ているうち、TOQはもう、どうしても
キーボード=タイプライターってものを打ってみたくて
たまらなくなっていました!
でも、当時タイプを打つなんてことは、まったくの夢!・・だったんですが。
なんと、その夢はほどなく叶ってしまうのです!?


ある日、我が家にタイプライターが届きました!
しかも、
 レミントンの電動タイプライター
(Remington)

一体どうやって、そこに話がつながったのかはすっかり忘れてしまったのですが、
たまたま親戚がレミントン社のディーラーをやってたんで、倉庫に中古の機種が
山ほどおいてあった。
そう、親戚の叔父さんが「どれか気に入ったのがあったら、持ってっていいよ♪」
と言って倉庫に案内してくれたのです!
すると、そこには上下に2段、左右に2列並んだ棚に全部で30台ものタイプが
置かれていました。もちろん、それらは中古の機種ですが、そのすべてが完動品。
1台1台、ちゃんと手入れが行き届いていました。

ただ、その大きさには思わず目を見張りました!?
なぜなら、全てが 電動タイプライター だったからなのです!!

 まだ商品の価値など知らないTOQは、叔父さんに説明を受けながら1台づつ
 キーボードの感触を確かめて、欲しい機種を物色するという夢のような時間を
 そこで過ごしたのです♪♪

 そうして、数ある機種の中から選んだ1台は、
 英文字専用の電動タイプライターでした。日本語を打つためのひらがな50音
 の機種や、カタカナが打てる機種もあったのですが、そんなのには目もくれず、
 英字しか打てない”本来の”タイプライターを選んだのです。

本当は番組と同じように、キートップに英字とカタカナが刻まれたキー(これを
コンビネーションと呼びます)の機種が欲しかった!けど、そんなのはなくて。。
ちょっとがっかりしつつも「英字のみ」のタイプライターを選んだのだけれど、
その選択には、叔父さんがえらく驚いたのを今でも覚えています。
ただTOQにとってみれば「キーボードで英字が打てること」がまず第1の条件。
えっ、どうしてかって?
 コンピューターのプログラムを打とうと思ったら、
 英語が打てなきゃ始まらないからね!

かくして、我が家にはまぁ不釣り合いな、
大型の電動タイプライターが鎮座することに
なったのです。


ところで、その電動タイプライターです。
モーター内蔵だから大きくて、重さは60キロくらいはありました!
電源を入れるとまず、ブルンと大きく揺れて、巨大なモーターが唸りをあげる。
あっ「電動」と言っても、テレタイプのように外部からの信号で自動的に打つ
というワケぢゃなくて、軽くキーを打つだけで、ハンマーが力強くタイプする。
その動力にモーターを使っているというイミでの「電動」なんです。

 なにしろ、この当時のタイプライターの印字機構は、その全てがリボン式。
 先端に活字のついたハンマーが勢いよく、インクリボンを叩くことで紙に
 印字される仕組みだ。キーを打つ力が弱いとハッキリとした文字が打てず、
 文字がかすれてしまう。
 一般的なハンディタイプのタイプライターは、自分の指の力だけで文字を
 打つので、それが顕著に表れる。

 一方、電動タイプでは、とにかくキーを押し下げれば、あとはキカイが
 代わりに打ってくれるのだ!それも渾身の力で活字をリボンに叩きつける。
 1文字キーを打つたびに、パンと大きな音がする。その音に慣れるまでは
 ビクビクしながら、打っていたくらいっっ
 しかし、印字される文字の濃度は一定で、かすれなんてものは皆無なのだ☆


かくして、電動タイプという「高価なオモチャ」を与えてもらったTOQは、
その前に座り込むと、自分で作ったプログラムもどきをひたすら打ち込んで、
タイプライターを端末に見立てての「コンピューターごっこ」
をして遊んでいました (笑)

ですが、以前の記事TOQとビートルズで書いたように、
その頃見ていた「セサミストリート」の影響もあって、
ほどなくこのタイプライターで、本格的に英語を打ち始めるようになるのです!!
最初はappleから始まって、少しづつ打てる単語が増えていき、そのうちに文章も。
すると、
たとえば文章に頻繁に登場する the という定冠詞は、指がキーボードの位置を
覚えてしまい、いちいちキーを見なくても打てるように!
いわゆるブラインドタッチ(現在は「タッチタイプ」と呼称)が出来るように!
その後もこのタイプライターは、英会話のためのよき相棒として、
TOQと長い時を過ごすようになるのです。


 ひとつ思い出しました!
 この当時のタイプライターのキーには数字の「1」がなくて、2~9と0のみ。
 限られたスペースにできるだけ多くの文字を割り振る工夫がされた結果ですね。
 じゃあ「1」を打ちたいときはどうするか?代わりに「l」(小文字のエル)を
 使うんだよ、と父が教えてくれたのです。
 今思うと、なぜ父がそんなことを知っていたのか、がわからないのですが。


         *     *     *
ここからが、本題です。

 「マイコンの登場」 その1 


それは、或る日突然降って湧いたブームといってもいいかもしれません。
世の中に「マイクロコンピューターチップ」が現れてから
ほんの数年のうちにマイコンが世の中に現れ、あっと言うまに世の中に広まっていく
その様子はさながら
 百花繚乱 群雄割拠 PC下克上
ニッポンではご存知の通り、何年か後にはPC-9801だけが生き残り、我が世の春を謳歌。
その後、栄枯盛衰を実感することに(時代の末期には、FM-TOWNSという徒花も、、)

ざっと、TOQがその当時の国内の動きを振り返ってみましょうか。
(あくまでも、TOQの感覚でまとめた「年表」ですが)

=======================================
 きっかけは、マイコンチップの登場
⇒一部のアマチュアがボードコンピュータを組み始める
⇒伝説の TK-80 が世の中に出回る
⇒伝説の雑誌I/Oが創刊
⇒アキハバラ・ラジオ会館にNEC Bit-Innが誕生
⇒NECからPC-8001が発売
⇒世の中にマイコンというものが認知される。

⇒すると他社からも次々とマイコンが発売されるように
⇒各デパートにはマイコンのコーナーが設置される
⇒PC雑誌を片手にゲームのプログラム(*)を打ち込む輩がタムロするように
       *・・ゲーセンの「クレイジー・クライマー」などをマイコン用に移植したもの
(余談)
  実はTOQも そんなお仲間の1人だったのです(^^;;
  中でもTOQがお気に入りだった機種は、
  標準モニターのカラー発色が綺麗だった
  日立BASICマスター レベル3 で
  いつもその前に陣取ってましたっけ。
  他にも
  広大なメモリ空間を全て使えるクリーンコンピュータが自慢の
  SHARP MZ-80K  とか

⇒やがて、NECからビジネスに向けたPC-9801が発売
⇒PC98に向けたソフトが5インチフロッピーで続々発売される
⇒日本では「日電PC-98」シリーズが世間を席巻する
⇒より安価なPCの普及を目指してMSXという規格が立ち上がる
⇒が、ほどなく淘汰されWindows3.xの時代まで天下が続く

=======================================

さて、
じゃあ、TOQはこの「年表」のどのあたりから関わっていたのか?といいますと
実は、かなり最初の方なのです。

いわゆるワンボードパソコン、アマチュアが手作りで組み立てる基盤が剥き出しの
CPUボード――TOQがそれを知ったきっかけは、当時まだ生まれたばかりの
マイコンチップというものを日本で初めて紹介した本(と、TOQは思っています)
その名も「つくるコンピュータ」(CQ出版)です。
 

(続き⇒手作りコンピュータへの挑戦と伝説のTK-80の登場について)


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余がこんぴゅうたの由来(2)(新規) [余がこんぴゅうたの由来]

約束しておりました「余がこんぴゅうたの由来」の2回目の記事をお届けします。
以下で展開されるのは、現在でも一部で稼働している「汎用コンピューター」の話です。
それもかなり突っ込んだ専門的な内容なんですが、旧ブログでその2を公開したときも、
業界人の昔話(?)に終始してた記憶があるので、それをそのまま踏襲して書きました。
ただ昔、というか大昔の大型コンピューターの世界を知らない人にとって、
かなりマニアックに感じる内容ですので、カクゴして読んでくださいネ~(^^)/
 一方、TOQにとっては、古き良き時代の証言を忘れないうちに記事にして
 アーカイブしておきたいという思いがあります。





 「コンピューター講座との出会い」  その2


深夜の11時、ちょっと近未来的な感じのするテーマ曲が流れ、番組が始まる。
冒頭のハモンドオルガンが奏でる独特な音色部分が、まるでコンピューターの
人工音声みたいに感じて、小学生のTOQはワクワクしながらテレビの前へと。
さぁ、これから1時間、コンピューターの学習をするぞ!!!

 まだ幼かったTOQを、魅惑のコンピューターの世界へと誘ってくれた1曲。
 おそらくその曲は、当時NHKの番組のテーマの作曲を一手に引き受けていた
 冨田勲さんの手によるものなんじゃないかな~♪
 今思い出返してみると、なんとなくそう感じます。

 ⇒TOQの頭の中では今でもハッキリと流れるその曲を、なんとか皆さんに
  お聞かせすることが出来ないかと、この週末、久々音楽ソフトを立ち上げ、
  懐かしい曲の再現を試みましたが、いまだ完成には至らずっっ。実は以前
  チャレンジして中断したヤツで既に8割まで出来てますから。あと少〜し
  がんばって、近日中に公開できるといいなぁ~と思ってます(^^;;
  ⇒2013/12/14更新 曲が完成してこちらの記事でMP3を公開しています。
         「コンピューター講座のテーマ曲」を再現してみました♪


番組が始まると、やさしいおじさん、森口繁一先生が一礼する。
「さぁ、みなさん。今日もコンピューターについて、学んでいきましょう」

画面の奥に並んだ5台ほどのテレタイプと、その前に座って待つ聴講生たち。
そんな光景が展開されたのは、番組の第3期「FORTRAN入門」の頃
だったかと思う。たまたま昼間の時間に再放送されていたとき、親戚の家か
何かでカラーテレビでチラッと見たその光景を、今でもハッキリ覚えている。

ところで、番組の大半は教育テレビの方式を踏襲というか、マグネット式の
黒板の前に立った講師の先生が、流れ図(フローチャート)が描かれた板を
順番に貼り付けていったり、あるいはプログラムそのものをチョークでただ
ひたすらに書き続けるといったもの。そうして、プログラムの形が定まると、
端末の前で待機していた聴講生たちが、そのコーディングシートを見ながら、
ソースコードを1行づつパンチ(プログラムをキーボードで打ち込む)する。

当時、現在のようにキーボードは普及してないから、触ったことのある人は、
キーパンチャーとかのごく限られた人だけ。聴講生たちはおぼつかない様子
で1語1語確かめながら、あまり聞きなれない難しい英単語を打っていく。
当然、時間がかかる。なんで、番組はこの間を利用してミニコーナーを挟む。
と俄然、TOQの目が輝き出す。


このミニコーナーでは、コンピューターに関して最新情報を紹介してくれた。
外部記憶装置の話題が大半で、磁気ドラム磁気ディスクが主流になりつつ
あったのですが、当時はまだ磁気テープが全盛の時代。ランニングコストを
考えると、その方が遥かに安かったのだろうなと思います。

かと思うと、当時最新鋭のキカイ「ミニコン」が紹介されたことも、、
まだ、パソコンが開発されるずうっと前のことなので、ミニといっても大型
業務用冷蔵庫くらいの規模でしたが、ラック型のそのキカイだけで完結する
のは驚異的でした。なるほど、電算室が要らないんだ!ずっと後、1980
年代に入って、ミニより小さいマイクロコンピュータ=略して、マイコン!
が開発されることになるのですが、、、

この文章打ってるうちに色々と思い出してきたので、ちょっと寄り道します(^^)/
 

(汎用コンピューターのマニアックな話が続きます)


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余がこんぴゅうたの由来(1)(再掲) [余がこんぴゅうたの由来]

以下は、今から17年以上も前の2006年3月12日、旧ブログに投稿した記事。
シリーズとして企画して、その1に続いてその2も公開したのだが、当時の原稿が
残っているのは、残念ながらその1のみでその2にについては見当たらなかった!
したがって、連載1回目分のみとなるが、当時の記事をそのままの形で再掲する。
これに続く、2回目に書いた内容は凡そ記憶しているので、機会があれば新たに
原稿を起こして、記事にしたいと思っている。     <2023年12月2日>




これから不定期でTOQがコンピュータ(業界)に関わるようになった
経緯を「余がこんぴゅうたの由来」と称して、書いていこうと思う。
やや時代めいた題名 — コレは明治の文豪・二葉亭四迷の書いた短文 
「余が言文一致の由来」から採ったものだ。この意味から言うならば
本来は余が(私の)「ぷろぐらまぁ/しすてむえんじにあ」の由来と
すべきところだが、語呂が悪いので(^^; これでいくことにします!


「コンピューター講座 との出会い」  その1

それはTOQがまだ小学生の頃、おそらく小学5年生だったと思う。
深夜にたまたま、テレビのチャンネルを回していたところ、NHKの
教育テレビでアニメーションをやっていた。

いや、アニメーションといってもちょこっと動くだけのものだったのだが、
夜10時過ぎ~11時ちかい頃だったので、オヤッと思ったのだ。
それでそのまま見ていた。あとでわかったのだが、このアニメは
「にれのき工房」という、その頃教育テレビのアニメ(教育用途の)
を一手に制作しているところのものだった。

当時我が家のテレビはまだ、白黒だったしそも教育テレビの番組自体が
モノクロ放送だった。この番組もおそらくそうだったと思われる。
だから、決して派手な絵柄に惹き付けられたわけじゃない。
その内容がヘンだったのだ。


画面の右側に信号機。そのランプが3つとも点灯していない。
すると、交差点でそれを見ているお巡りさんの頭から吹き出しが出て
中に「0(ゼロ)」と表示される。
次に、カシャンと音がして一番右側のランプだけが灯る。
すると、やはり吹き出しが出て今度は「1」。
次に音がするとまん中のランプがついて、右端は消える。
今度は吹き出しの中の数字は「2」。
次に、まん中のランプはそのままで、なぜか右端も点いて
吹き出しには「3」。
。。というようにして、数字の「7」まで続くのだ。
もうおわかりだろう。コレは2進数を表していたのだ!

小学生にして深夜にそんなアニメと出会ってしまったTOQは、
それからもその番組を時々見るようになる。
その番組の名前は「コンピューター講座」といった。


今では考えられないことだろう。1970年代のコンピューターは
大学等の計算センターにしかない、バカデカイ機械だった。
銀行のオンラインもまだ始まっていなかったと思う。
みどりの窓口がようやく動き始めた頃じゃないかなぁ、とにかく
コンピューターなんて一般の人には縁遠い代物だった。
そんな時代に「一般利用者」に向けて、コンピューターの
「利用の仕方」を教えてくれる番組=それが「コンピューター講座」だった。


この番組が画期的だったのは、スタジオに実際に「端末(たんまつ)装置
を持ち込んで、その場でコンピューターとのやりとりを見せてくれたこと。
まだ、ヴィデオディスプレイ装置(CRT=今日でいうモニタ)は高価なので、
この時の端末は「電電公社」謹製のテレタイプだった。
ただ、IBMが特許を取得していたボール型のタイプヘッドを使うモデルで
半角英数字の他に半角カタカナの印字も出来た最新型の機種だ。
このテレタイプが、バッファリングしたキー入力のエコーバックと
センタから返ってきた文字出力を、紙に打ち出してくれるのだ。
その様子をカメラがアップで捕えてくれると、今日のキーボードと
モニタの組み合わせのような感じで、電話の向こうのセンタとの
通信ができたのだ!


今では業界人の我々も「汎用(はんよう)コンピュータ」と呼んで、サーバ
とは違うのだよと区別するけれど、当時の電算機の種類はそれしかなく
電算室(今でいうマシン室)に置いてあるものでオペレータ以外は本体を
見ることは叶わないモノだった。それこそ当時のアニメに出てくる典型的
な光景—「磁気テープ」のリーダーが何台も並んで、しょっ中動いたり、
停まったりの繰り返しーが繰り広げられていたハズだ。

一般の利用者は、プログラムを書いたらキーパンチャーに頼んで
パンチカード」に打ってもらい、計算センターに実行をお願いする
バッチ処理」しかなかった。打ったプログラムの「コンパイル」さえ、
計算センターに申し込んで、何日か経ってからようやく結果がわかる
だけで、実行経過をリアルタイムで見ることなど叶わなかったと思う。
その時代に「コンパイリング」が目の前で行われて、テレタイプが
もの凄いスピードで「コンパイル・リスト」を掃き出していくんだぜ。
当時何も知識はなかったけど、見ていてとにかくカッコ良かった!!


何故そんなことが可能だったのかというと、この番組の端末が
接続していたのは、コンピューターに関して当時最先端だった
電電公社の計算センターの「DEMOS(ディーモス)」という
オペレーティングシステムだったから。
これはオンラインで計算センターに接続する利用者に向けた
システムで、ちょうど初期のMS−DOSのようにシステムに対して
簡単なコマンドを発行することで、計算センター内部で管理された
「ユーザープログラム」や「データファイル」にアクセスできる
画期的なシステムだった(今、しみじみそう思ってる)。

更に高速アクセスを実現するためにスタジオの一角には
巨大な「データ宅内装置」のラックが何台も置かれていた。
これは、今日でいうMODEM(モデム)の役割とバッファの
ためのメモリーだろう。あの当時のメモリーは「磁気コア
しかないから、デカかったんだろうと思う。


もうひとつ、この番組で出会ったものがあった。
それは番組主任講師の 森口繁一(もりぐち しげいち) 先生だ。
当時は、東京大学計算センターの所長か何かをして
おられたと思うのだが、僕にとってはやさしいおじさんといった
感じの笑顔が魅力的だった。このおじさんと(テレビを通じて)
出会ったことが、コンピューターの世界をグッと身近に
感じさせるきっかけになった。「繁一」の部分が読めなくて勝手に
「ケーイチ」せんせいと呼んでいたっけな。
 この先生は、後に同じ教育テレビで初期のパソコン入門や
 BASICの講座などでも親しまれることになるのだが。

アニメーション部分をきっかけに見始めた、この時のシリーズは
文字通りの「入門編」といったものですぐに終わってしまったのだが、
番組は続いて「COBOL(コボル)入門編」が始まった(と思う)。
プログラムの解説が難解でとてもついていけなかった印象がある。
刷り込みとは恐ろしいもので、TOQでは汎用ではコボラーのクセに
いまだにCOBOLという言語が嫌いです。
番組への復帰は「FORTRAN(フォートラン)入門編」まで待つことになる。

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