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TOQとビートルズ(1) (再掲) [TOQとBeatles]

以下は、旧ブログで『TOQとビートルズ』というタイトルで、
TOQがいかにして自称ビートルズ狂となったかについて、
前後2回に分けて書いた記事のうち、1回目分の再掲(*)です。
残念ながら、テキストとして残っていたのは1回目相当分のみ、
2回目は残っていませんでした。また、一部欠落もあったので
公開当時の記事の内容を思い出しながら、書き足しています。
2回目分の記事も大まかな内容は覚えています。機会があれば
また、新たに記事としてあげたいと思います。
*・・元の記事は2006年7月10日前後に公開されました。




TOQが「ビートルズ狂」となったいきさつをご披露します。
書いてるうちに長くなってきたので、何回かに分けて載せることにします。

もともとは7/3に書き始めた記事だったのでちょっと内容が
古くなっちゃったとこがあるんですが、、



今から40年前の7/2、この日本に
The Beatlesが滞在していた。

そのビートルズ 来日40周年の記念スペシャル番組
「ビートルズ・スペシャルナイト」(7/2 NHK-BS2)
をみた。
いや、見たなんてもんじゃない! ずっと前から
カレンダに赤丸つけて
待ち望んでいた。

なぜならば、
進行役の松本和也アナウンサー
に負けないくらい
TOQもビートルズファンだから!!!
違いはTOQはギターを弾かないことぐらい、
だって、ファン歴30年ですから。。

だから、
40周年という数字に、どれほどの意味が
あるのかわからないが、特集番組を組んで
頂けることはありがたかった。

前期の勢いのあるビートルズが好きか、
後期のミュージシャンとしてのビートルズが好きか、
人によって意見が別れるところだけど、
若い頃、ビートルズ・シネ・クラブフィルム・コンサート
に通ったこともあるTOQは
両方とも、好きだ!

だから、来日した当時の映像が見られるだけでも
嬉しかったよーん。


番組自体は、決して予定調和に収まろうとしない
トーク(泉谷とムッシュの丁々発止がサイコー)とか、
コダワリのコピーバンドのそっくりさ加減とか、
2時間半があっという間でモノ足りないくらい、
満喫させてもらった。
若いキンモクセイの演奏VTRの入れコミ具合は、
つんく♂のコピー演奏CD以来、キテルなぁと感じたし、、
  なんせ、TOQは若い頃、六本木「キャバーン」にも
  行ったことあるくらいなんで、「完コピさ加減」には
  ウルサイのだ。



1966年—
キョードー東京の招聘で
The Beatlesが東洋の島国、日本へ来日。
東京九段下の日本武道館が、史上初めて
ロックコンサートの演奏会場として使用された
たった5回の、最初で最後の、日本での公演。


リアルタイム世代ではないから、その間
日本中が興奮の渦に包まれていたこと
など知らない。

もっと時代が進み、ベトナム戦争が激化。
反戦フォークの影で、ヒッピーやフラワー
ムーヴメントの教祖として崇められてた頃
早い人は兄貴がレコード聴いてた影響で
その音楽体験をしていた。
TOQの同級生にもそういう人がいた。
―といっても、まだ「小学生」の話。

  いずれ稿を改めて書きたいが、TOQの
  ロック初体験は『5th Dimension』の
  「Aquarious〜Let the Sunshine In」であって
  ビートルズではない。
  だが、同時代のロックのビート(リズム感)
  はしっかりと感じていた。
  その原体験が、小学校3年生のときだ。


話をビートルズとの出会いに戻すと、
TOQの場合はレコードからではなくテレビだった。
小学校5年生のとき、
NHKの教育TVで不思議な番組に出会う。
Sesami Street(セサミストリート)だ。


当時はまだ、実験的な性格で放送してた
に過ぎず、おそらく誰も知らないと思うが
夏休みテレビクラブ」という放送枠で放映
されたときには、ちゃんと字幕も出てたし
時々女の人の声で
「ビッグバードは何をしているのでしょう?」
などというナレーションが入っていた。

それで、語学番組とは意識しないで見て
いられたのだが、本格放送枠に入ってからは
そのナレーションも字幕もなくなってしまう。


それで、小学生にして番組のテキスト
購入し始めた。。そこに「ビートルズ」の
文字があったのだ!

 その時のスキットはこんな内容だ。
 マペットの皆んながヘンな格好してる
 「これから皆んなで何処へ行くの」と
 ボブがきくと
 「Submarineさ」
 「Submarineって?」
  と呆れるボブ。
  そしてBeatlesYellow Submarine
  が流れて歌い踊る。


まだ、英語はよく聴き取れなかったけど
イエローサブマリンは何度も歌われるから
しっかりわかったし、テキストの解説文でそれが
ビートルズの曲」だということも覚えた。
Gmajを基調としたどこか切ない感じがする
メロディーラインが妙に耳に残った。

まだ、小学生には「切なさ」などわからないから、
実際には、Johnが歌っている低音パートの部分の
バックコーラスが、なぜかハッキリと聴こえてきて
長調なんだけどなんかちょっと悲しい感じっていう
不思議な感情として身体で感じていた。
  その切ない感じの原体験が先の5th Dimension
  のLet the Sunshine Inだったんだけどね〜



その次の出会いは中学の時だ。
TOQが中学1年のとき、AMラジオでやたら
流れている曲があった。
♪エルピー エルピー としか聴こえないその曲
御存知「レット イット ビー」だ。
同時に「バンドンダラン」もよく流れていたから
もうBeatlesは解散していたと思う。
(正しくは、WINGSの"Band On the Run"です)

同級生が次々と洋楽ロックに開眼していく中で、
TOQは圧倒的に情報が不足していた。
まだ、ラジカセを持っていなかったからだ。



なんせ、ウチには子供の頃からオープンリール
テレコが何台もあって、そのうち1台を自分専用に
もらって使っていたから、中学生になるまでウチに
カセットレコーダがなかったのだ。だから、ラジオ
から曲を録音するのが面倒で、、

これじゃあいかんと親にネダって買ってもらった
のが、SONY Studio1480 というラジカセ。
AM/FMチューナーにカセットレコーダー付き。
ダイヤル部分に感度を示す赤く点灯するLED
がハメ込んであって、それがカッコよくて一目惚れ!!
但し、録音はモノーラル。小型だから当然だね。


当時のマセガキは、まずAMラジオの深夜放送
を聴き始める。深夜といっても最初はヨル9時台
ニッポン放送(当時は1240)の「欽ドン」あたり。
次の段階に入るとオールナイトニッポンかな。
リクエストでかかる曲は、歌謡曲ばかりじゃなく
洋楽POPSもある。もっと、もっと聴きたくなる。
だから、TOQが雑音だらけのAMからFMに
主軸が移っていくのは、時間の問題だったんだ。

 その当時― 
 ステレオのチューナーで、FM放送からカセットデッキ
 に録音することを「エアチェック」と呼んでいた。
 まだレンタルレコード屋がない頃だから、月に何枚も
 LPを買えない中坊には有り難かっただろう。。
 でも、TOQには縁のない話だ。後で書くけど、、



最初にビートルズの曲をラジカセで録音したのは、
忘れもしないニッポン放送の、「まだ宵の口」なる
放送枠の中で「日立 Music in Hi-phonic」という
番組があって、そこで1週間ビートルズ特集した時。
それまで聴いたことのない曲が次々飛び出した。

バック イン ザ USSR
エリナー・リグビー
アクロス ザ ユニバース
タックスマン
ルーシーインザスカイウィズダイヤモンズ
エイトデイア ウィーク
サージャンペパー ロンリーハーツ クラブバンド

確かこんなラインアップで、この回は曲の頭文字
をつなぐと「BEATLES」になる趣向になっている。
曲名は耳だけが頼りで、聴こえた通りにカセットの
中紙に「カタカナで記入」してたハズだ。
しかし、これはまだビートルズのとっかかりに
過ぎなかった。



次なる衝撃の出会いは、映画「HELP!」だ。
なにぶんにも古い話なんで、ラジオとどっちが
先かを忘れてしまったのだけど。

当時、中高校生の間で第2次ビートルズブーム
が起きていたからなのだろうか。
ある時、TVで『HELP! 〜4人はアイドル〜』が
放映された。
ビートルズ情報に飢えていたTOQは、喰い入る
ように観た。映画の一部分については、TVから
ライン録音を試みてカセットに録音した。

 録音した部分は―
 スタジオでの録音シーン
 Johnの「アゥ ツー スリッ」のカウントで始まる
 ”You're Gonna Lose That Girl〜♪”
 から
 雪の中でのマントスキーとピアノが印象的な
 ”Ticket To Ride”
 までの部分とか。
 ラストの「りじーりじーりじー(Dizzy Miss Lizzy)」
 とか。

この映画では、とにかくタイトル曲の
「HELP」のコーラスワークが耳に残った。
サビ前の

 ヘルプみぃ ゲ まぁいフィ バこんざ グラァアーンド〜♪

のとこ、なんかゾクゾクさせる三声のハモリ
にシビレて、この時からTOQはいつか
あんな風にバックコーラスを歌いたい
と思うようになったのです。
ギター弾きたいぢゃなくてね(笑)



そして、その次に
TOQを「ビートルズ狂」にした最大の出会いが
待っていたのです!!!

前述のとおり当時、Beatlesはもう解散していた。
しかし、まだ解散したばかりということもあって
ようやく聴き始めたFM放送でもよく流れた。
さらに、その頃始めたエアチェックでTOQを
Beatles漬けにしてしまう決定的な番組に出会う。

FM東京 土曜日深夜1:00からの120分番組。
DJの本田俊夫さんのこんなフレーズで始まる。

  日本が生んだ世界のブランド、SONY。
  ただ1人のアーティストを120分に渡って
  フォローする「SONY BIG SPECIAL」
  Perfect BEATLES Super 9 Weeks
   (ジャーンとギターの音)

この特集番組が画期的だったのは、世間に
発表されたThe Beatlesの全ての曲を全部
オンエアしたこと。それも年代を追ってLPの
リリース順にそってだ。
レコードは高くてそうそう買えないから、
エアチェック派にとって待望の企画だった
と言っていい。

更にハンブルク時代のレコード(バックバンド)
やブートレッグ盤までオンエアされたのだ。

うまく録音できなかった分もあるが、とにかく
この時録音したカセットを擦り切れるまで
聴いたことが、Beatles原体験となってるんだ。

さらに初めて明かす話だが、
TOQは当時ステレオを持っていなかった。
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だから、同級生たちが家でLPをかけ音像定位
(右のスピーカからギターが、左からはドラム)
を実感しながら聴いているとき、カセットから
流れてくるモノーラルの音でしか聴けなかった!
しかし、不思議なもので何度も聴いているうち
奥の方で鳴っているメロディまで聴こえてくる。
それは主となるメロディーとは全く異なるのに、
その2つが合わさると妙に気持ちがイイ。
そう意識すると、或るパートだけがハッキリと
聴こえてくるように、、
なんと、
TOQは知らないうちに必死で「耳コピー」
していたのです。

それでも、正確な歌詞まではわからなかった。
なぜなら、LPがないから歌詞カードがない!



しかし、
ここでまた新たな出会いがあるのですよ☆
今となってはなぜ、そんなところに行ったのか
わからないが、とにかくそこでBeatlesの曲の
奥深さを知るようになったのです。

そこは街の楽器店—
その当時のギター小僧がタムロするような一角。
棚には「リッチー・ブラックモア奏法」なんて
本やバンピー(バンドピース譜)が処狭しと並ぶ。
そんな中、Beatlesの名前を見つけて釘付けに。
中を開くと、LP単位に曲が載っててそこには
ちゃんと歌詞が書かれているじゃないか!!

レコードは買えなかったけど、代わりに
シンコーミュージックのスコアを購入した。
これで歌詞を手に入れられる!

*****************

予算も限られていたし、その場でさんざ迷って
購入したのは「Abbey Road」

菊倍版という独特なサイズで、かなり大きな本。
ピアノアレンジされたメロディーラインに加え、
ギター用のTAB譜やドラムパートを示す音符、
そしてモチロン音符には英語の歌詞が載ってて、
先に録音したカセットでABBEY ROADの回を
流しながら、指で譜面をたどって何度も何度も
聴きまくって、正確に歌えるように練習した♪

まだ、楽器は弾けなかったけど、スコアの世界
に触れたことで、また新たな面を知ったのです。
これでますます、Beatlesにのめり込むことに・・


(第2回に続く)
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