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余がこんぴゅうたの由来(3) [余がこんぴゅうたの由来]

これから「余がこんぴゅうたの由来」の3回目の記事をお届けします。

TOQが、現在までと続くコンピュータ業界に足を踏み入れるようになるまでの変遷を
振り返っていくこのシリーズ。その昔、コンピュータと言えば「電産室」におわします
大型汎用コンピュータしかなかった時代から1980年代に入ると、ついにマイコン
(=今日のPCの祖先)の時代が到来します。今回は、そのマイコン登場のあたりまで
を書きますが、、その前にひとつだけ、個人的な思い出話 をさせてくださいネ(^o^)/




前回の(2)で語りまくった「コンピューター講座」ですが、
番組内で端末として使われていたのは電電公社謹製の「テレタイプ」でした。
それを打つところを毎週のように見ているうち、TOQはもう、どうしても
キーボード=タイプライターってものを打ってみたくて
たまらなくなっていました!
でも、当時タイプを打つなんてことは、まったくの夢!・・だったんですが。
なんと、その夢はほどなく叶ってしまうのです!?


ある日、我が家にタイプライターが届きました!
しかも、
 レミントンの電動タイプライター
(Remington)

一体どうやって、そこに話がつながったのかはすっかり忘れてしまったのですが、
たまたま親戚がレミントン社のディーラーをやってたんで、倉庫に中古の機種が
山ほどおいてあった。
そう、親戚の叔父さんが「どれか気に入ったのがあったら、持ってっていいよ♪」
と言って倉庫に案内してくれたのです!
すると、そこには上下に2段、左右に2列並んだ棚に全部で30台ものタイプが
置かれていました。もちろん、それらは中古の機種ですが、そのすべてが完動品。
1台1台、ちゃんと手入れが行き届いていました。

ただ、その大きさには思わず目を見張りました!?
なぜなら、全てが 電動タイプライター だったからなのです!!

 まだ商品の価値など知らないTOQは、叔父さんに説明を受けながら1台づつ
 キーボードの感触を確かめて、欲しい機種を物色するという夢のような時間を
 そこで過ごしたのです♪♪

 そうして、数ある機種の中から選んだ1台は、
 英文字専用の電動タイプライターでした。日本語を打つためのひらがな50音
 の機種や、カタカナが打てる機種もあったのですが、そんなのには目もくれず、
 英字しか打てない”本来の”タイプライターを選んだのです。

本当は番組と同じように、キートップに英字とカタカナが刻まれたキー(これを
コンビネーションと呼びます)の機種が欲しかった!けど、そんなのはなくて。。
ちょっとがっかりしつつも「英字のみ」のタイプライターを選んだのだけれど、
その選択には、叔父さんがえらく驚いたのを今でも覚えています。
ただTOQにとってみれば「キーボードで英字が打てること」がまず第1の条件。
えっ、どうしてかって?
 コンピューターのプログラムを打とうと思ったら、
 英語が打てなきゃ始まらないからね!

かくして、我が家にはまぁ不釣り合いな、
大型の電動タイプライターが鎮座することに
なったのです。


ところで、その電動タイプライターです。
モーター内蔵だから大きくて、重さは60キロくらいはありました!
電源を入れるとまず、ブルンと大きく揺れて、巨大なモーターが唸りをあげる。
あっ「電動」と言っても、テレタイプのように外部からの信号で自動的に打つ
というワケぢゃなくて、軽くキーを打つだけで、ハンマーが力強くタイプする。
その動力にモーターを使っているというイミでの「電動」なんです。

 なにしろ、この当時のタイプライターの印字機構は、その全てがリボン式。
 先端に活字のついたハンマーが勢いよく、インクリボンを叩くことで紙に
 印字される仕組みだ。キーを打つ力が弱いとハッキリとした文字が打てず、
 文字がかすれてしまう。
 一般的なハンディタイプのタイプライターは、自分の指の力だけで文字を
 打つので、それが顕著に表れる。

 一方、電動タイプでは、とにかくキーを押し下げれば、あとはキカイが
 代わりに打ってくれるのだ!それも渾身の力で活字をリボンに叩きつける。
 1文字キーを打つたびに、パンと大きな音がする。その音に慣れるまでは
 ビクビクしながら、打っていたくらいっっ
 しかし、印字される文字の濃度は一定で、かすれなんてものは皆無なのだ☆


かくして、電動タイプという「高価なオモチャ」を与えてもらったTOQは、
その前に座り込むと、自分で作ったプログラムもどきをひたすら打ち込んで、
タイプライターを端末に見立てての「コンピューターごっこ」
をして遊んでいました (笑)

ですが、以前の記事TOQとビートルズで書いたように、
その頃見ていた「セサミストリート」の影響もあって、
ほどなくこのタイプライターで、本格的に英語を打ち始めるようになるのです!!
最初はappleから始まって、少しづつ打てる単語が増えていき、そのうちに文章も。
すると、
たとえば文章に頻繁に登場する the という定冠詞は、指がキーボードの位置を
覚えてしまい、いちいちキーを見なくても打てるように!
いわゆるブラインドタッチ(現在は「タッチタイプ」と呼称)が出来るように!
その後もこのタイプライターは、英会話のためのよき相棒として、
TOQと長い時を過ごすようになるのです。


 ひとつ思い出しました!
 この当時のタイプライターのキーには数字の「1」がなくて、2~9と0のみ。
 限られたスペースにできるだけ多くの文字を割り振る工夫がされた結果ですね。
 じゃあ「1」を打ちたいときはどうするか?代わりに「l」(小文字のエル)を
 使うんだよ、と父が教えてくれたのです。
 今思うと、なぜ父がそんなことを知っていたのか、がわからないのですが。


         *     *     *
ここからが、本題です。

 「マイコンの登場」 その1 


それは、或る日突然降って湧いたブームといってもいいかもしれません。
世の中に「マイクロコンピューターチップ」が現れてから
ほんの数年のうちにマイコンが世の中に現れ、あっと言うまに世の中に広まっていく
その様子はさながら
 百花繚乱 群雄割拠 PC下克上
ニッポンではご存知の通り、何年か後にはPC-9801だけが生き残り、我が世の春を謳歌。
その後、栄枯盛衰を実感することに(時代の末期には、FM-TOWNSという徒花も、、)

ざっと、TOQがその当時の国内の動きを振り返ってみましょうか。
(あくまでも、TOQの感覚でまとめた「年表」ですが)

=======================================
 きっかけは、マイコンチップの登場
⇒一部のアマチュアがボードコンピュータを組み始める
⇒伝説の TK-80 が世の中に出回る
⇒伝説の雑誌I/Oが創刊
⇒アキハバラ・ラジオ会館にNEC Bit-Innが誕生
⇒NECからPC-8001が発売
⇒世の中にマイコンというものが認知される。

⇒すると他社からも次々とマイコンが発売されるように
⇒各デパートにはマイコンのコーナーが設置される
⇒PC雑誌を片手にゲームのプログラム(*)を打ち込む輩がタムロするように
       *・・ゲーセンの「クレイジー・クライマー」などをマイコン用に移植したもの
(余談)
  実はTOQも そんなお仲間の1人だったのです(^^;;
  中でもTOQがお気に入りだった機種は、
  標準モニターのカラー発色が綺麗だった
  日立BASICマスター レベル3 で
  いつもその前に陣取ってましたっけ。
  他にも
  広大なメモリ空間を全て使えるクリーンコンピュータが自慢の
  SHARP MZ-80K  とか

⇒やがて、NECからビジネスに向けたPC-9801が発売
⇒PC98に向けたソフトが5インチフロッピーで続々発売される
⇒日本では「日電PC-98」シリーズが世間を席巻する
⇒より安価なPCの普及を目指してMSXという規格が立ち上がる
⇒が、ほどなく淘汰されWindows3.xの時代まで天下が続く

=======================================

さて、
じゃあ、TOQはこの「年表」のどのあたりから関わっていたのか?といいますと
実は、かなり最初の方なのです。

いわゆるワンボードパソコン、アマチュアが手作りで組み立てる基盤が剥き出しの
CPUボード――TOQがそれを知ったきっかけは、当時まだ生まれたばかりの
マイコンチップというものを日本で初めて紹介した本(と、TOQは思っています)
その名も「つくるコンピュータ」(CQ出版)です。
 
 

実はTOQ、中学生の一時期アマチュア無線HAM:通称ハム)やってました。
そんなハムたちが毎月必ず購入していた雑誌「CQ」(シーキュー)に、ある日
もうすぐ発売予定の本の告知が載ったのです。それは、市販のICを組合わせて、
自分でコンピュータを作る方法を伝授してくれる本だというのです!!なんと
あの憧れだったコンピュータ自作できるなんて!?
もう、すぐに予約して、いち早く入手しました!そして、中を読み始めると、
まさに自分が知りたかった内容が余すことなく記述されていました!!!

 たとえば、今ではすっかり日常語となっているフラグですが、
 元々はI/O(アイオー)のタイミングを合わせるためのもの。
 特定の1ビットがオンかオフかを確認して、処理を分岐する。
 その目的のための1ビットのことをフラグと称するのですが、
 そういった専門的な用語に初めて触れたのがこの本でした。当時それは
 大手電気メーカーで汎用コンピュータに携わっている技術者くらいしか、
 知る由のない世界だったからです。


さらに、この本は大きく2部構成に分かれていました。
第1部はボードにICをハンダ付けして、自らの手でCPUの機能を組み立てる
そのための方法の解説。それに対して、第2部はCPU部分にマイコンチップを
使う、いわゆるワンボードコンピュータの製作方法。ここでは、組み立てよりも
プログラミングの技術に多くの紙面が割かれてました。「バグ」とか「デバッグ」
という専門用語に初めて出会ったのもここでした。小学生にしてFORTRAN
に出会ったTOQは、プログラミングの基礎はすでに会得してるつもりでした。
が、最初は書かれている内容が全く理解できなくて、何度も何度も読み返しては、
感覚で覚えていきました。
そういうイミで、この本はTOQにコンピュータの世界の奥深さを教えてくれた
素晴らしい本なのです。

この本では、コンピュータのCPU基板に載せる対象として「μPDxxxxx」
というマイコンチップが採用されていますが、なんとこれは4ビットのマイコン。
コンピュータの世界では8ビットをまとめて1バイトと呼び、この1バイト単位で
考えることは知っていましたから、4ビットでできることには限りがあるのでは?
と感じていました。
といっても、TOQはその時点でまだコンピュータを組み立ててはいません。
実際にコンピュータがなくても、CPUの命令セットの仕様(Instruction Set)
があれば、机上でプログラムを組むことなんて、いくらでも出来ます。
そうやって、仮想でコンピュータを動かして楽しんでいるうちに、性能の限界を
感じてしまったのです。



じゃあ、次にどうしたのか?
ルーズリーフを買ってきて、なんと自分だけの「コンピュータの設計書」(!)を
書き始めたのです。
CPUは何ビットで動くのか、内部にはレジスタをいくつ持つのかや、外部との
I/Oポートメモリマップ上のどの位置に置くのか、そしてまず何よりも先に
どんな命令コードがあって、それのニモニックはどう名付けるのか、、、すべて
現実にはまだない架空のコンピュータの仕様です。
それらの大半は「つくるコンピュータ」からの受け売りですが、ビット数だけは
4ビットでも1バイトでもなく、独自に12ビットにしようと決めていました。

そうやって架空のコンピュータの仕様が固まると、次は実際に作ってみようと
秋葉原へと出かけてシャーシ(筺体)やIC基板など、比較的安い部品から
少しづつ買い揃えていきました。正直に言うと、TOQは電気工作はあまり
得意ではなかったのですが、自分だけのコンピュータを組み立てるためなら、
と一念発起。中でも一番高い部品「メモリチップ」を物色する段階へと進み、
いよいよ行動に移します。

 秋葉原でもかなり奥まったところにあるICチップの専門店に行き、
 勇気を出して
 「12ビットのメモリはありますか?」
 とたずねてみたところ、即座に
 「12ビットのメモリなんてないよ!」
 と言われてしまい、もうガッカリ!!
 だって、メモリが手に入らないのならば、理想のコンピュータだ
 なんてただの絵に描いた餅、現実に組み立てることが出来ません!
 これで一気に熱が冷めてしまいました。
 それから、しばらくの間、再びルーズリーフが開かれることは
 ありませんでした。

ところがある日、たまたま開いたときに、ある思いがよみがえってきたのです。
それは、自分で一生懸命考えた命令セットの仕様を使って、プログラムを組む
その作業が実に楽しかったことを。そうなんだ。実際にはコンピュータなんて、
なくたっていいんだ!ごく限られた命令コードだけを使って、より高度なこと
をどうやって実現するかを考える方が、組み立てる作業よりもはるかに楽しい!
もともとが、実際に手を動かして組み立てるより、あれこれ空想している方が
好きな子供でしたからね〜TOQは。
そう気づいたとき、12ビットへのこだわりはきれいさっぱり消えていました。
すぐに世間一般の1バイトの仕様で設計をやり直して、命令セットを作り替え、
それを使っての、アセンブラ(機械語)のプログラミングに日夜没頭しました。

それは、他の誰も知り得ないTOQだけの趣味だったのですが、何年かの後に
そのプログラミングの訓練が、職業へとつながることになるのです。


         *     *     *

さて、
自分でコンピュータを組み立てることは諦めましたが、秋葉原へは通い続けていました。
そんなある日、先にメモリを断られた店の近くで1冊の薄っぺらい雑誌を見つけました。
それが、表紙のDANさんの横に長いカオのイラストが特徴的なI/O(アイオー)」
との出会いでした。後に、マイコン雑誌というジャンルを大きく牽引していくことになる
伝説の雑誌I/Oですが、このときはまだ同人誌の延長のような体裁で、厚さも3ミリ。
内容はIC工作、シンセサイザと多岐に渡っていましたが、中でも出色の記事は米国で
産声をあげはじめたマイクロコンピュータの報告だったように記憶しています。
当時もう、インテルの8080や、モトローラの6809の前身は出回っていたのかな?
国内でも一部のマニアは入手して、独自にワンボードマイコンを作り始めていたらしい。


I/Oとの出会いと、どっちが先だったのかはもう忘れましたが、
そんな風に時代にマイコンの風が吹き始めた頃だったと思います。

突如、伝説のTK−80ティーケーはちじゅうが登場して、
すぐにマニアの間で一大ブームになりました。

TKとはトレーニング・キットの略。NECが自社のマイコンチップの可能性を示す
比較的安価で発売した、いわゆるワンボードマイコン。この商品が画期的だったのは、
最初からI/O(アイオー:入出力機能)を備えていたことなんです!

といっても、
 インプットは電卓のようなキー:0〜9とA〜F、それにいくつかの機能のみ。
 アウトプットは日の字型をした赤色LED:それが4個づつ3組、横に並ぶ。
それでも、
購入してすぐプログラムを入力したり、結果の表示ができるっていうことが当時どれほど
革新的だったことか!さらには、最初からアセンブラに近い状態での入力が可能でした。

どういうことかというと、たとえば
1バイトの2進数1111111116進のFFで入力することが出来たのです!
つまり、マシン語での入力が2進数の1と0の羅列から解放されたのですよ!!
そのスペックの高さには誰もが驚いたものです!!!


TK−80は比較的安価とは言っても、当時の価格で確か2万円はしました。それでも、
アッという間に評判となり、売れに売れました。そして、NECはユーザ達の交流の場
Bit-innラジオ会館にオープンしました。たしか8Fだったかな、誰でも出入りできて
いつも多くの人で賑わってました。
そこにはマニアたちが改造したTK−80も並んでいました。本体に外部モニタをつなぎ
図形を表示できるようにしたものや、模型を動かしたりすることができるものもあって、
TOQは毎回そこを訪れるのが楽しみでした。

TK−80の広がりは、メーカー自身にマイコンチップの可能性を気づかせることとなり、
やがてNECから、マイクロコンピュータPC−8001が発売されることになるのです!

(その2 へ続く)
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コメント 2

(。・_・。)2k

レイミントンってタイプライターも作ってたんですね

by (。・_・。)2k (2024-02-25 14:21) 

TOQ

(。・_・。)2k さん、ありがとうございます。
逆にTOQは電動タイプライターでしかレミントン社を知らないのです(^^;;
鋳物で作られたグレーの筺体。重厚で重かった印象しかないのです。
by TOQ (2024-02-29 00:01) 

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