SSブログ

余がこんぴゅうたの由来(1)(再掲) [余がこんぴゅうたの由来]

以下は、今から17年以上も前の2006年3月12日、旧ブログに投稿した記事。
シリーズとして企画して、その1に続いてその2も公開したのだが、当時の原稿が
残っているのは、残念ながらその1のみでその2にについては見当たらなかった!
したがって、連載1回目分のみとなるが、当時の記事をそのままの形で再掲する。
これに続く、2回目に書いた内容は凡そ記憶しているので、機会があれば新たに
原稿を起こして、記事にしたいと思っている。     <2023年12月2日>




これから不定期でTOQがコンピュータ(業界)に関わるようになった
経緯を「余がこんぴゅうたの由来」と称して、書いていこうと思う。
やや時代めいた題名 — コレは明治の文豪・二葉亭四迷の書いた短文 
「余が言文一致の由来」から採ったものだ。この意味から言うならば
本来は余が(私の)「ぷろぐらまぁ/しすてむえんじにあ」の由来と
すべきところだが、語呂が悪いので(^^; これでいくことにします!


「コンピューター講座 との出会い」  その1

それはTOQがまだ小学生の頃、おそらく小学5年生だったと思う。
深夜にたまたま、テレビのチャンネルを回していたところ、NHKの
教育テレビでアニメーションをやっていた。

いや、アニメーションといってもちょこっと動くだけのものだったのだが、
夜10時過ぎ~11時ちかい頃だったので、オヤッと思ったのだ。
それでそのまま見ていた。あとでわかったのだが、このアニメは
「にれのき工房」という、その頃教育テレビのアニメ(教育用途の)
を一手に制作しているところのものだった。

当時我が家のテレビはまだ、白黒だったしそも教育テレビの番組自体が
モノクロ放送だった。この番組もおそらくそうだったと思われる。
だから、決して派手な絵柄に惹き付けられたわけじゃない。
その内容がヘンだったのだ。


画面の右側に信号機。そのランプが3つとも点灯していない。
すると、交差点でそれを見ているお巡りさんの頭から吹き出しが出て
中に「0(ゼロ)」と表示される。
次に、カシャンと音がして一番右側のランプだけが灯る。
すると、やはり吹き出しが出て今度は「1」。
次に音がするとまん中のランプがついて、右端は消える。
今度は吹き出しの中の数字は「2」。
次に、まん中のランプはそのままで、なぜか右端も点いて
吹き出しには「3」。
。。というようにして、数字の「7」まで続くのだ。
もうおわかりだろう。コレは2進数を表していたのだ!

小学生にして深夜にそんなアニメと出会ってしまったTOQは、
それからもその番組を時々見るようになる。
その番組の名前は「コンピューター講座」といった。


今では考えられないことだろう。1970年代のコンピューターは
大学等の計算センターにしかない、バカデカイ機械だった。
銀行のオンラインもまだ始まっていなかったと思う。
みどりの窓口がようやく動き始めた頃じゃないかなぁ、とにかく
コンピューターなんて一般の人には縁遠い代物だった。
そんな時代に「一般利用者」に向けて、コンピューターの
「利用の仕方」を教えてくれる番組=それが「コンピューター講座」だった。


この番組が画期的だったのは、スタジオに実際に「端末(たんまつ)装置
を持ち込んで、その場でコンピューターとのやりとりを見せてくれたこと。
まだ、ヴィデオディスプレイ装置(CRT=今日でいうモニタ)は高価なので、
この時の端末は「電電公社」謹製のテレタイプだった。
ただ、IBMが特許を取得していたボール型のタイプヘッドを使うモデルで
半角英数字の他に半角カタカナの印字も出来た最新型の機種だ。
このテレタイプが、バッファリングしたキー入力のエコーバックと
センタから返ってきた文字出力を、紙に打ち出してくれるのだ。
その様子をカメラがアップで捕えてくれると、今日のキーボードと
モニタの組み合わせのような感じで、電話の向こうのセンタとの
通信ができたのだ!


今では業界人の我々も「汎用(はんよう)コンピュータ」と呼んで、サーバ
とは違うのだよと区別するけれど、当時の電算機の種類はそれしかなく
電算室(今でいうマシン室)に置いてあるものでオペレータ以外は本体を
見ることは叶わないモノだった。それこそ当時のアニメに出てくる典型的
な光景—「磁気テープ」のリーダーが何台も並んで、しょっ中動いたり、
停まったりの繰り返しーが繰り広げられていたハズだ。

一般の利用者は、プログラムを書いたらキーパンチャーに頼んで
パンチカード」に打ってもらい、計算センターに実行をお願いする
バッチ処理」しかなかった。打ったプログラムの「コンパイル」さえ、
計算センターに申し込んで、何日か経ってからようやく結果がわかる
だけで、実行経過をリアルタイムで見ることなど叶わなかったと思う。
その時代に「コンパイリング」が目の前で行われて、テレタイプが
もの凄いスピードで「コンパイル・リスト」を掃き出していくんだぜ。
当時何も知識はなかったけど、見ていてとにかくカッコ良かった!!


何故そんなことが可能だったのかというと、この番組の端末が
接続していたのは、コンピューターに関して当時最先端だった
電電公社の計算センターの「DEMOS(ディーモス)」という
オペレーティングシステムだったから。
これはオンラインで計算センターに接続する利用者に向けた
システムで、ちょうど初期のMS−DOSのようにシステムに対して
簡単なコマンドを発行することで、計算センター内部で管理された
「ユーザープログラム」や「データファイル」にアクセスできる
画期的なシステムだった(今、しみじみそう思ってる)。

更に高速アクセスを実現するためにスタジオの一角には
巨大な「データ宅内装置」のラックが何台も置かれていた。
これは、今日でいうMODEM(モデム)の役割とバッファの
ためのメモリーだろう。あの当時のメモリーは「磁気コア
しかないから、デカかったんだろうと思う。


もうひとつ、この番組で出会ったものがあった。
それは番組主任講師の 森口繁一(もりぐち しげいち) 先生だ。
当時は、東京大学計算センターの所長か何かをして
おられたと思うのだが、僕にとってはやさしいおじさんといった
感じの笑顔が魅力的だった。このおじさんと(テレビを通じて)
出会ったことが、コンピューターの世界をグッと身近に
感じさせるきっかけになった。「繁一」の部分が読めなくて勝手に
「ケーイチ」せんせいと呼んでいたっけな。
 この先生は、後に同じ教育テレビで初期のパソコン入門や
 BASICの講座などでも親しまれることになるのだが。

アニメーション部分をきっかけに見始めた、この時のシリーズは
文字通りの「入門編」といったものですぐに終わってしまったのだが、
番組は続いて「COBOL(コボル)入門編」が始まった(と思う)。
プログラムの解説が難解でとてもついていけなかった印象がある。
刷り込みとは恐ろしいもので、TOQでは汎用ではコボラーのクセに
いまだにCOBOLという言語が嫌いです。
番組への復帰は「FORTRAN(フォートラン)入門編」まで待つことになる。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。