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TOQとビートルズ(2) (新規) [TOQとBeatles]

さらに、
次なる出会いが続きます。
それは ビートルズの本(ディスコグラフィー)
の購入です。


先に書いたFM東京の番組で、ビートルズ全曲の
完全オンエアが続いている頃だったと思います。
FM放送からエアチェックするときに欠かせない、
番組表(=オンエア予定の全曲目リスト)が載ってて
毎月必ず購入してたFM雑誌=「FMレコパル」に、
ある日ビートルズに関連した本の広告が載りました!

なんでも、海外で発売された本の日本語版だとかで
部数が限られた限定発売。購入方法は郵送で申込み
のみ、代金引換か当時だから現金書留だったかも?
とにかく、国内で3000部くらいしか発売されない
ときいて、もう居ても立ってもいられず、すぐ購入。


だって、
その本は アルバムジャケットサイズ で、
全アルバム ジャケットの原寸大カラー の
写真を掲載。全アルバムについての解説
日本語で読めるっていうじゃありませんか!!!
これはもう、買うっきゃない!!!!
親に頼んで、購入申込の手続きをしてもらいました。
 そう、まだ中坊1人では申し込みができなかったっっ
 値段も、たしか3800円くらいはした記憶が、、
(当時の感覚だと1万円にちかいんじゃないかな~)


その本が、コレなんです。
THE BEATLES(ザ・ビートルズ)an illutrated Records.png THE BEATLES ザ・ビートルズ
   AN ILLUSTRATED RECORDS
  著者:ROY CARR/TONY TYLER 訳:吉村透


↑この写真はメルカリの画面に掲載されていたものから採りました。

全アルバムジャケットが原寸大で掲載された唯一の本
やっと、見つけることができました!


 実は、、持っていた本は現在 行方不明なんです。
 引越しの際のゴタゴタで倉庫のどこかに眠ったままっっ
 それどころか、正確な書名すら思い出せなくて・・

  旧ブログで記事を書く際にはWEB検索をかけて
  探したんだけど、ヒットするのは違う本ばかり。
  なぜ「あの本」だけが見つからないのだろう!?

 今回は、なんとしても見つけたくて。微かな記憶
 「確か表紙には 虹が描かれてたハズ」をたよりに
 ヒットした写真を全て見て回ると、あった!
 書名が特定できると、さらに複数の写真がヒット!


THE BEATLESの中身(日本語版).png
 
 
 そうそう、こんな風に

 発売されたシングル/アルバムの単位に
 詳細な解説が載っているのです。写真も
 他では見られない貴重なものばかりです。

 
↑この写真もメルカリの画面に掲載されていたものから採りました。

この本のおかげで、ビートルズの全213曲について、
それがどのアルバムの何曲めに収録されているのか、
ヴォーカルは誰で、特殊な楽器は何を使っているか、
が分かるようになったのです (^o^)v
もちろん、正確な曲名(英語の表記)も分かります。
今度はカセットにちゃんと曲名を書くことができる!!

 例えば、曲名は She Loves You のように最初の
 1文字目を大文字で表記するのだけれど、the
 だけは I ‘m the Walrus のように小文字のまま
 で表記するのですよ☆そーゆーとこにコダわって
 以前はカタカナで書いた曲名を、今度は”英語で”
 得意になって書きましたとサ (笑)
 

(いよいよ、充実したビートルズライフの幕開けです)


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「コンピュータ講座のテーマ曲」を再現してみました♪ [幻のテーマ曲の再現]

今日から、また新たなカテゴリーの記事を始めていきたいと思います。
題して『幻のテーマ曲の再現』です。
これは、TOQの頭の中でだけ流れている曲を、その通りに再現しようという
途方もないプロジェクトです。もちろん、当時のままに正確に再現することは
できません。しかし、たとえわずかでも実際に音にできればイメージスケッチ
くらいは、聴いてくださった皆さんに伝わるのではないか?とそう考えました。
TOQが苦労して再現した「思い出のカケラ」を聴いてみてください♪




その1回目は、かねて予告しておりました「コンピューター講座」のテーマ曲。
(カテゴリ「余がこんぴゅうたの由来」の記事で、楽曲作成中と伝えてます)

今から50年近くも前のこと、ごく限られた人だけが視聴していた番組なので
おそらくこの記事を読まれた方は、まず実際に聴いたことがないんじゃないか、
と自信をもって言えます。
しかしながら、小学生のTOQにとって、あのテーマ曲のメロディーを聞くと、
それだけでワクワクしたことを覚えています。曲の感じがちょっと近未来的で、
冒頭のハモンドオルガンが奏でる独特のメロディーの部分が、まるで人工音声
みたいに感じて、これから未来が始まるぞ~という期待を抱かせてくれたから!!
独特なフレーズは今でも鮮明に覚えていて、TOQはいつでも再生できました、
自分の頭の中では。。。

そうなんです。あまりにも古い昔のレアな話なんで、資料が何にも残ってない。
当時の録音や、ましてや映像など(家庭用ビデオデッキが開発される前です)。
特にテーマ曲は音源がない!いや、放送していたNHKには探せばあるのかも
しれませんが、それにアクセスするのは困難でしょう。
唯一残っているのは、TOQの個人的な「思い出」だけです。だけど、昔から
いつかその思い出を元に、番組のテーマ曲を再現してみたいと思っていました。


その思いを50年間抱き続けていたら、DTM(デスクトップミュージック)
の環境が手軽に構築できるような時代になっていて、やっとそれが実現できた!
TOQが創った楽曲の「イメージスケッチ」を、皆んなと共有できるのです♪

 拙い作品ではありますが、TOQの頭の中で鳴り続けていた曲を取り出し、
 アンサンブルの編成で演奏してみたものです。手本など全くない状態から、
 すべて手作り(=打ち込み)で完成までに漕ぎ着けた作品です。
 レベルは・・いわゆる「デモ音源」くらいだと思ってください。

とにかく、一度聴いてみてくださいネ♪

作品「コンピュータ講座のテーマ曲」
(TOQが再現 ©TOQ, 2023


ホンモノを聴いたことがある人がいないから、比較される心配がないので(笑)
安心して公開できました。
TOQは曲内で展開されるフレーズの感じから、作曲者は冨田勲さんでは?
と思っていますが、完全再現できてないので著作権は問題ないでしょう。
この時代に信じられないかもしれませんが、創作に際して楽曲をWEBで
検索することは一切していません。だから、作曲者が違うかもしれませんがっっ
 

(以下、TOQのDTM遍歴と再現へのこだわりが続きます)


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余がこんぴゅうたの由来(2)(新規) [余がこんぴゅうたの由来]

約束しておりました「余がこんぴゅうたの由来」の2回目の記事をお届けします。
以下で展開されるのは、現在でも一部で稼働している「汎用コンピューター」の話です。
それもかなり突っ込んだ専門的な内容なんですが、旧ブログでその2を公開したときも、
業界人の昔話(?)に終始してた記憶があるので、それをそのまま踏襲して書きました。
ただ昔、というか大昔の大型コンピューターの世界を知らない人にとって、
かなりマニアックに感じる内容ですので、カクゴして読んでくださいネ~(^^)/
 一方、TOQにとっては、古き良き時代の証言を忘れないうちに記事にして
 アーカイブしておきたいという思いがあります。





 「コンピューター講座との出会い」  その2


深夜の11時、ちょっと近未来的な感じのするテーマ曲が流れ、番組が始まる。
冒頭のハモンドオルガンが奏でる独特な音色部分が、まるでコンピューターの
人工音声みたいに感じて、小学生のTOQはワクワクしながらテレビの前へと。
さぁ、これから1時間、コンピューターの学習をするぞ!!!

 まだ幼かったTOQを、魅惑のコンピューターの世界へと誘ってくれた1曲。
 おそらくその曲は、当時NHKの番組のテーマの作曲を一手に引き受けていた
 冨田勲さんの手によるものなんじゃないかな~♪
 今思い出返してみると、なんとなくそう感じます。

 ⇒TOQの頭の中では今でもハッキリと流れるその曲を、なんとか皆さんに
  お聞かせすることが出来ないかと、この週末、久々音楽ソフトを立ち上げ、
  懐かしい曲の再現を試みましたが、いまだ完成には至らずっっ。実は以前
  チャレンジして中断したヤツで既に8割まで出来てますから。あと少〜し
  がんばって、近日中に公開できるといいなぁ~と思ってます(^^;;
  ⇒2013/12/14更新 曲が完成してこちらの記事でMP3を公開しています。
         「コンピューター講座のテーマ曲」を再現してみました♪


番組が始まると、やさしいおじさん、森口繁一先生が一礼する。
「さぁ、みなさん。今日もコンピューターについて、学んでいきましょう」

画面の奥に並んだ5台ほどのテレタイプと、その前に座って待つ聴講生たち。
そんな光景が展開されたのは、番組の第3期「FORTRAN入門」の頃
だったかと思う。たまたま昼間の時間に再放送されていたとき、親戚の家か
何かでカラーテレビでチラッと見たその光景を、今でもハッキリ覚えている。

ところで、番組の大半は教育テレビの方式を踏襲というか、マグネット式の
黒板の前に立った講師の先生が、流れ図(フローチャート)が描かれた板を
順番に貼り付けていったり、あるいはプログラムそのものをチョークでただ
ひたすらに書き続けるといったもの。そうして、プログラムの形が定まると、
端末の前で待機していた聴講生たちが、そのコーディングシートを見ながら、
ソースコードを1行づつパンチ(プログラムをキーボードで打ち込む)する。

当時、現在のようにキーボードは普及してないから、触ったことのある人は、
キーパンチャーとかのごく限られた人だけ。聴講生たちはおぼつかない様子
で1語1語確かめながら、あまり聞きなれない難しい英単語を打っていく。
当然、時間がかかる。なんで、番組はこの間を利用してミニコーナーを挟む。
と俄然、TOQの目が輝き出す。


このミニコーナーでは、コンピューターに関して最新情報を紹介してくれた。
外部記憶装置の話題が大半で、磁気ドラム磁気ディスクが主流になりつつ
あったのですが、当時はまだ磁気テープが全盛の時代。ランニングコストを
考えると、その方が遥かに安かったのだろうなと思います。

かと思うと、当時最新鋭のキカイ「ミニコン」が紹介されたことも、、
まだ、パソコンが開発されるずうっと前のことなので、ミニといっても大型
業務用冷蔵庫くらいの規模でしたが、ラック型のそのキカイだけで完結する
のは驚異的でした。なるほど、電算室が要らないんだ!ずっと後、1980
年代に入って、ミニより小さいマイクロコンピュータ=略して、マイコン!
が開発されることになるのですが、、、

この文章打ってるうちに色々と思い出してきたので、ちょっと寄り道します(^^)/
 

(汎用コンピューターのマニアックな話が続きます)


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てつどう「江ノ電ミニ散歩(2008) 江ノ島ー極楽寺~御霊神社」 [てつどう]

以下は、旧ブログでカテゴリ『てつどう』で展開していた記事にならって
そのシリーズの続きとして書いたものですが、鉄道率はちょっと低いです(^^;;
また、TOQ は鉄道好きではありますが「てっちゃん」ではありません。
 理由は・・・このシリーズの1回目で書いた通りです。

<なお、写真は一部を除いて、クリックすると拡大画面で表示します>




TOQは子供の頃、神奈川県の藤沢という処に住んでいました。
だからというか、「江ノ電」にはこれまで何回乗ったかなんて
わからないくらい、小さい頃から乗ってます。まだ藤沢駅前が
再開発される前で、江ノ電藤沢駅が高架になる前から、です。

1つ前の記事で2008年の正月に「湘南モノレール」に乗った
ことを書きました。その終点「湘南江ノ島」駅から歩いてすぐ
のところに、江ノ電の「江ノ島」駅があります。
今回はこの駅から出発して、鎌倉ミニ散歩と洒落こみましょう♪


藤沢駅から乗ると、終点鎌倉駅までは1時間くらいで着きます。
なんで、鎌倉方面に行きたいときは「江ノ電」一択になります。
毎年の初詣の鶴岡八幡宮、ちょっと夏の江ノ島へ。江ノ島へは
小田急でも行けるけど、駅から続くすばな通りを歩いて次第に
海が見えてくると潮の香りが強くなってくる。通りの両側には
獲れたてで活きのいい魚介類。経木を巻いてこしらえた容器に
どさっとしらすを入れてもらって量り売り。威勢のいい掛け声。
・・・そんな想い出が「江ノ島駅」にはあるのです。

単コロ風の車両~藤沢方面から
FH010016改_1207.JPG
そんな江ノ島駅はまた、駅の両端にある踏切から電車を狙える
隠れた撮影ポイントでもあります。なぜなら、単線で運行する
江ノ電は江ノ島駅で上下線の待ち合わせを行う必要があるから。
ちょっと待っていると、すぐに電車がきます。手前にカーブが
あるので、電車をほぼ真正面から撮らえることができます。

停車中のモダンな車両~江ノ島駅
FH010017_1207.JPG
カメラを反対側に向けて、ホームに停車中の電車も狙い目です。
一方の車両が入線してから、他方の車両が入線するまでかなり
タイムラグがあり、その間は停車中の電車の姿を撮影できます。
なんと、江ノ島駅は島式ではないのです!車両の上から下まで
何らさえぎるものなく、撮影できる稀有なスポットなのですよ!!

単コロ風の車両~藤沢方面へ
FH010020改_1207.JPG

江ノ島駅で下り(鎌倉方面)と待ち合せた上り(藤沢方面)が
駅を発車して、踏切の奥へと立ち去っていく姿です。1枚目の
写真とほぼ同ポジで、行き先表示だけが「鎌倉」/「藤沢」と
違っているのが、おわかりでしょうか?同じ線路を上りと下り
が交互に走っているのです。

昔は、本当に上りと下りの間でタブレットの授受があって、
それがないと発車できない。。その様子を子供の頃のTOQは
何度も目撃しています。楕円形の先端に小さな鞄が付いている、
それを持って一方の運転手が歩いてきて、他方の運転席に向け
差し出すと、それを受け取って代わりに今まで運転席にあった
同じものを相手に渡すという一部始終・・それをかぶりつき
見ていました!ただ、運転席って地面からはかなり高いところ
にあるので、渡すのがやりにくそうだな~って思っていました。
もし、ホームが島式だったら、楽に歩いて渡せてたのにね~


江ノ島の観光案内
FH010018_1207.JPG
江ノ島駅から江ノ電に乗車します。記憶が定かでないのですが、
これはたしか改札の手前にあった観光案内板だったと思います。
ただ今回は、江ノ島には行かないのですが。


極楽寺で下車
FH010021_1207.JPG
鎌倉方面5つ先の「極楽寺」で下車します。これから鎌倉散策
しながら、旧交を温めようというワケなんですが、極楽寺には
江ノ電好きには絶対外せないスポットがあって・・・

(まだまだ江ノ電の撮影ポイントが続きます)


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てつどう「湘南モノレール(2008年初春)」 [てつどう]

以下は、旧ブログでカテゴリ『てつどう』で展開していた記事にならって
そのシリーズの続きとして書いたものです。再掲でない理由は、旧記事分
のテキストが一切残っていないからです。記事の写真は残っていますが、、
なお、TOQ は鉄道好きではありますが「てっちゃん」ではありません。
 理由は車両をマニアックに型式名で呼ぶことができないからです(笑)
 そんな自分をお仲間に加えて頂くことなんて、恐れ多くてとても・・

   <なお、写真はクリックすると拡大画面で表示します>



TOQは子供の頃、神奈川県の藤沢という処に住んでいました。
だから『湘南モノレール』には、昔から親しみを感じています。
開業当時は「湘南深沢」の駅の近くまで、頭上を走り抜けてく
モノレールの車両を眺めに行ったり、その近くにあるポイント
が動く様子を、首が痛くなるまでじっと見上げてたりしました。
その当時はまだ「西鎌倉」までしか運行してなくて、それでも
親には無理を言って、早い時期に乗せてもらいました。それが
あの独特な 湘南モノレールの空中浮遊感の原体験☆

そんなTOQが、2008年の正月久しぶりに湘南モノレールに
乗りました。もう十分大人になってた(?)ので、愛機α-7000
をしっかりと携えて撮影にのぞみました。あ、撮影はあくまで
ついでに、でした。この日の主たる目的は旧友と共に鎌倉へと
向かうことだったのですが、こんなチャンスは滅多にないので!!

モノレールの車両の先頭
FH010011_231206改.JPG

2008年の初春です。先頭車両にはこんなヘッドマークつけて
運行してくれていたんですねぇ~。もっとも、終点でそのまま
折り返せば末尾の車両になるワケですが。

車両がホームの横で浮いてます
FH010010_231206改.JPG
モノレールですから、架線とか、パンタグラフはありません。
レールはありますが、懸垂式なので車両は空中に浮かぶ格好
になるんですね。
FH010012_231206.JPG
ほら、こんな風にレールから車両がブラ下がっているのです。
なんでも、国内では2ヶ所しか運行していない方式とのこと。


正月の空に富士山がくっきりと
FH010002_231206.JPG
当時の撮影データが残ってないのでハッキリしないのですが、
おそらくこれは途中の「富士見台」あたりの車窓から撮った
1枚です。この日は快晴で、冬の澄んだ空気のもと、富士山
がくっきりと写っています。湘南ではこんな風に高いところ
があれば、富士山の雄大な姿を撮影することができるのです(^o^)b
FH010009_231206.JPG
同じく車窓からの1枚。かなり、窓ガラスのテカリが入って
画面全体が薄曇りの日に撮ったみたいになってます。これは
おそらく鎌倉山のトンネルを抜けた後に撮ったものなんじゃ
ないかと思います。


ほぼ90度に曲がって入線!?
FH010007_231206.JPG

出ましたこれぞ湘南モノレールの急カーブ!!
対向する車両がほぼ真横の状態で見えてるのがわかりますか?
駅の直前でググっと大きく曲がってから入線してくるのです。
回転半径を小さくできる湘南モノレールならではの光景です。
写っている街灯の看板には「西鎌倉商店会」とありますから、
おそらくこれは「西鎌倉駅」の手前で車窓からの1枚ですね!
電車では到底考えられないような急カーブを体験できるのが、
湘南モノレールの魅力。ジェットコースターと称される所以。


駅の看板には観音さまのお姿が・・
FH010013_231206.JPG
はい、モノレールは終点の「湘南江ノ島」駅に到着しました。
なんと駅の看板表示に鎌倉山がうっすらと描かれ、その先に
「大船観音」が優しく見守っています。なるほど、これなら
「大船方面はこちらなんだ」とハッキリ分かりますよね~♪


懸垂式のモノレール
FH010014_231206.JPG
あらためて、終点のホームでモノレールの車両を撮りました。
懸垂式の特徴、レールに車両がブラ下がる構造になっている
ということがよくわかるかと思います。レールはボックス型
で、その中をゴムタイヤが走行する仕組みになっています。


まるで林に吸い込まれるかのように・・
FH010015改_231206.JPG
これから大船方面へと折り返していく湘南モノレールの姿。
駅のすぐ手前まで林が続いてて、その先へと向かう車両は
まるで林の中へと吸い込まれていくように見えますよね~♪
こんなところが湘南モノレールの醍醐味

写真は2008年の1月に撮ったものですが、今でも沿線の
風景はそんなには変わっていないと思います。
機会があれば是非
湘南ジェットコースターをご体験くださいネ♪
1日フリー切符なら、610円で乗り放題ですよ~♪♪
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これが名古屋だぎゃあ〜(新2)「夜のテレビ塔」 [これが名古屋だぎゃあ〜]


FH000006改2.JPG
名古屋のシンボル「テレビ塔
その、夜の姿を見たことがありますか?

それは―
昼間に見るのとはまた違って、鉄骨の組合わせが
ライトアップの光に照らされ、美しい幾何学模様
を描き出す、なんとも摩訶不思議な光景なのです。


TOQがもうすぐこの地を離れて、東京へと帰る
2008年の1月末のことだったと思います。
夜になるとぐっと冷え込む中、愛機のα-7000
携え、人通りもまばらになったテレビ塔へ向かい、
夜間の撮影にのぞみました。

例によって、三脚など持ってないから手持ち撮影。
塔を照らすライトアップの光のみで撮りましたが、
現像が上がると、その美しさに息を飲みました!!!
なんと、セピア調の世界がそこに!
展開されていたからなんです☆☆☆
これは全く予期していないことでした。

FH000010改2.JPG


次の写真からは、もっとセピア調になりますよ〜

(よりセピア調になったテレビ塔はこちらから)


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これが名古屋だぎゃあ〜(新作)「名古屋の妖しい光」 [これが名古屋だぎゃあ〜]

以下は、旧ブログでカテゴリ『これが名古屋だぎゃあ〜』として連載してた(※)
記事の続きとして書いたものです。再掲でない理由は、旧記事分のテキスト、
それが一切残っていなかったからです、悲しいことに―
今回新たに書き起こした記事は、連載時には使用していない写真を元にして
書きました。現地で撮りためた写真はかなりいっぱいあって、それを全てを
記事にする時間がなかった・・・というより、他の記事の公開のタイミング
を逃したくなくて、已む無くオクラ入りにしたというのが真相です。
 ※・・TOQは2007年12月~2008年1月、名古屋に短期出張してました。




FH020014.JPG

名古屋に立つアルペンのビル。青空をバックにまるで絵葉書の
ような仕上がりになってますが、、記事で取り上げるのは左の
方にちょっと顔を覗かせている低い方のビルなんです。


TOQが名古屋滞在中に暮らしていたマンションがあったのは、
住所で言うと名古屋市中区丸の内。錦が近くて、そこを抜けて
目的地の栄まではおよそ20分なので、毎日歩いて通勤。帰りは
深夜近くなることもあったのですが、往きとは違う裏道を歩く
と、夜空にぼうっと浮かんで、緑のライトで妖しく照らされた
物体が目に入ることがあるのです。

あれは、一体なんだろう??

持ち前の好奇心がムクムクと起き出し、毎晩少しづつ調査して
妖しい光の場所に近づいていくと、どうやらそれはビルの屋上
に設置されたヘリポートを照らしてる光らしいとわかりました。

幸いなことに、マンションからはそう遠くない場所だったので、
或る夜帰宅後にカメラを持って改めて出かけて、妖しい緑の光
の撮影にチャレンジしてみました。

撮影は名古屋に持参したフィルムカメラ、ミノルタα-7000
フィルムは常用しているASA400
フィルム感度は高い方だとは言え、他に何も光が無い状態での
撮影はうまくいくのか?モチロン、三脚なんてないから手持ち
での撮影です。手ブレが心配だけど、そこはもう出たとこ勝負!


FH020002.JPG
そうして、撮った写真がコレです!!
やっぱり、拡大するとちょっとブレてますが、これでも
何枚か撮ったウチで一番ブレが少ないものを選びました。
フィルムカメラなんで、現像するまでうまく撮れているか
分からないから、こういう時は何枚か撮っておくんです。


写真の下の方には「TOKEN」と書かれた文字が写っていて、
先のアルペンの写真に写っているビルと同じビルであることが
わかりますよね?
両者を見比べてみると、上の写真ではビルの窓を内側から光で
照らしているように見える部分が、実は窓ではなくてビル上部
にある構造物、鉄骨のみで中身はスカスカな部分であることが
わかるかと思います。
昼間見ると、わざわざ巨大な三角形乗っけてまでヘリポートを
高いところに置く必要があんのかな~くらいにしか思いません。
が、それが夜になると、こんなにも妖しく光るのですね~☆

FH020012.JPG
ビルの横に行って、真上を見上げるようにして撮った1枚です。
撮る瞬間はハッと息を止めて、ブレないように!と願いながら、
シャッターボタンを押すのですが、いくら脇を締めてしっかり
ホールドしていても、やはりボタンを押す際の振動が伝わって
どうしても少しブレてしまいます(⇒拡大するとわかります)。
それでも、夜間に手持ちカメラのズーム撮影で、わずかのブレ
に収まってるのは驚異的なんじゃないか、と自負しています。


FH020006.JPG
さらに、ズームで寄って下から見上げたヘリポートをアップに
してみました。ヘリポートの裏側全体が妖しい光を放ち夜空に
浮かび上がっている様子がわかります。
当時の撮影データが残っていないのですが、オートフォーカス
だけで撮影したハズです。もし、意図的にシャッタースピード
を変えて撮影してたのだとしたら、もっと派手にブレてたハズ。
全体を照らす緑色の光が、夜空に比べてあまりにも強烈なので、
この光だけで撮影できているのだと思います。

それにしても―
なんと美しい光の芸術なんでしょうか。明らかに意図したもの
ですよね〜。こんな美しい光景をフィルムカメラでしっかりと
撮らえて、写真として残すことができて本当にヨカッタです♪


TOKENビルの全体の姿
FH020013.JPG
ちなみに、こちらはうんと引いてビル全体の姿を撮らえたもの。
さすがに露出不足でうっすらとしか写っていないし、画面全体
が大きくブレてますが、上部からの光しかないのに、その光量
だけでビルの姿が浮かび上がっているのには、改めて驚きます。


これらの写真を撮ったのは、今から16年近く前の2008年1月
(フィルムを現像に出したのが、2008年2月2日の帰京直後)

その後名古屋に行く機会がなく、現在の状況は不明なのですが、
今でも名古屋の夜空を、緑の光が妖しく彩ってるのでしょうか。

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余がこんぴゅうたの由来(1)(再掲) [余がこんぴゅうたの由来]

以下は、今から17年以上も前の2006年3月12日、旧ブログに投稿した記事。
シリーズとして企画して、その1に続いてその2も公開したのだが、当時の原稿が
残っているのは、残念ながらその1のみでその2にについては見当たらなかった!
したがって、連載1回目分のみとなるが、当時の記事をそのままの形で再掲する。
これに続く、2回目に書いた内容は凡そ記憶しているので、機会があれば新たに
原稿を起こして、記事にしたいと思っている。     <2023年12月2日>




これから不定期でTOQがコンピュータ(業界)に関わるようになった
経緯を「余がこんぴゅうたの由来」と称して、書いていこうと思う。
やや時代めいた題名 — コレは明治の文豪・二葉亭四迷の書いた短文 
「余が言文一致の由来」から採ったものだ。この意味から言うならば
本来は余が(私の)「ぷろぐらまぁ/しすてむえんじにあ」の由来と
すべきところだが、語呂が悪いので(^^; これでいくことにします!


「コンピューター講座 との出会い」  その1

それはTOQがまだ小学生の頃、おそらく小学5年生だったと思う。
深夜にたまたま、テレビのチャンネルを回していたところ、NHKの
教育テレビでアニメーションをやっていた。

いや、アニメーションといってもちょこっと動くだけのものだったのだが、
夜10時過ぎ~11時ちかい頃だったので、オヤッと思ったのだ。
それでそのまま見ていた。あとでわかったのだが、このアニメは
「にれのき工房」という、その頃教育テレビのアニメ(教育用途の)
を一手に制作しているところのものだった。

当時我が家のテレビはまだ、白黒だったしそも教育テレビの番組自体が
モノクロ放送だった。この番組もおそらくそうだったと思われる。
だから、決して派手な絵柄に惹き付けられたわけじゃない。
その内容がヘンだったのだ。


画面の右側に信号機。そのランプが3つとも点灯していない。
すると、交差点でそれを見ているお巡りさんの頭から吹き出しが出て
中に「0(ゼロ)」と表示される。
次に、カシャンと音がして一番右側のランプだけが灯る。
すると、やはり吹き出しが出て今度は「1」。
次に音がするとまん中のランプがついて、右端は消える。
今度は吹き出しの中の数字は「2」。
次に、まん中のランプはそのままで、なぜか右端も点いて
吹き出しには「3」。
。。というようにして、数字の「7」まで続くのだ。
もうおわかりだろう。コレは2進数を表していたのだ!

小学生にして深夜にそんなアニメと出会ってしまったTOQは、
それからもその番組を時々見るようになる。
その番組の名前は「コンピューター講座」といった。


今では考えられないことだろう。1970年代のコンピューターは
大学等の計算センターにしかない、バカデカイ機械だった。
銀行のオンラインもまだ始まっていなかったと思う。
みどりの窓口がようやく動き始めた頃じゃないかなぁ、とにかく
コンピューターなんて一般の人には縁遠い代物だった。
そんな時代に「一般利用者」に向けて、コンピューターの
「利用の仕方」を教えてくれる番組=それが「コンピューター講座」だった。


この番組が画期的だったのは、スタジオに実際に「端末(たんまつ)装置
を持ち込んで、その場でコンピューターとのやりとりを見せてくれたこと。
まだ、ヴィデオディスプレイ装置(CRT=今日でいうモニタ)は高価なので、
この時の端末は「電電公社」謹製のテレタイプだった。
ただ、IBMが特許を取得していたボール型のタイプヘッドを使うモデルで
半角英数字の他に半角カタカナの印字も出来た最新型の機種だ。
このテレタイプが、バッファリングしたキー入力のエコーバックと
センタから返ってきた文字出力を、紙に打ち出してくれるのだ。
その様子をカメラがアップで捕えてくれると、今日のキーボードと
モニタの組み合わせのような感じで、電話の向こうのセンタとの
通信ができたのだ!


今では業界人の我々も「汎用(はんよう)コンピュータ」と呼んで、サーバ
とは違うのだよと区別するけれど、当時の電算機の種類はそれしかなく
電算室(今でいうマシン室)に置いてあるものでオペレータ以外は本体を
見ることは叶わないモノだった。それこそ当時のアニメに出てくる典型的
な光景—「磁気テープ」のリーダーが何台も並んで、しょっ中動いたり、
停まったりの繰り返しーが繰り広げられていたハズだ。

一般の利用者は、プログラムを書いたらキーパンチャーに頼んで
パンチカード」に打ってもらい、計算センターに実行をお願いする
バッチ処理」しかなかった。打ったプログラムの「コンパイル」さえ、
計算センターに申し込んで、何日か経ってからようやく結果がわかる
だけで、実行経過をリアルタイムで見ることなど叶わなかったと思う。
その時代に「コンパイリング」が目の前で行われて、テレタイプが
もの凄いスピードで「コンパイル・リスト」を掃き出していくんだぜ。
当時何も知識はなかったけど、見ていてとにかくカッコ良かった!!


何故そんなことが可能だったのかというと、この番組の端末が
接続していたのは、コンピューターに関して当時最先端だった
電電公社の計算センターの「DEMOS(ディーモス)」という
オペレーティングシステムだったから。
これはオンラインで計算センターに接続する利用者に向けた
システムで、ちょうど初期のMS−DOSのようにシステムに対して
簡単なコマンドを発行することで、計算センター内部で管理された
「ユーザープログラム」や「データファイル」にアクセスできる
画期的なシステムだった(今、しみじみそう思ってる)。

更に高速アクセスを実現するためにスタジオの一角には
巨大な「データ宅内装置」のラックが何台も置かれていた。
これは、今日でいうMODEM(モデム)の役割とバッファの
ためのメモリーだろう。あの当時のメモリーは「磁気コア
しかないから、デカかったんだろうと思う。


もうひとつ、この番組で出会ったものがあった。
それは番組主任講師の 森口繁一(もりぐち しげいち) 先生だ。
当時は、東京大学計算センターの所長か何かをして
おられたと思うのだが、僕にとってはやさしいおじさんといった
感じの笑顔が魅力的だった。このおじさんと(テレビを通じて)
出会ったことが、コンピューターの世界をグッと身近に
感じさせるきっかけになった。「繁一」の部分が読めなくて勝手に
「ケーイチ」せんせいと呼んでいたっけな。
 この先生は、後に同じ教育テレビで初期のパソコン入門や
 BASICの講座などでも親しまれることになるのだが。

アニメーション部分をきっかけに見始めた、この時のシリーズは
文字通りの「入門編」といったものですぐに終わってしまったのだが、
番組は続いて「COBOL(コボル)入門編」が始まった(と思う)。
プログラムの解説が難解でとてもついていけなかった印象がある。
刷り込みとは恐ろしいもので、TOQでは汎用ではコボラーのクセに
いまだにCOBOLという言語が嫌いです。
番組への復帰は「FORTRAN(フォートラン)入門編」まで待つことになる。

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TOQとビートルズ(1) (再掲) [TOQとBeatles]

以下は、旧ブログで『TOQとビートルズ』というタイトルで、
TOQがいかにして自称ビートルズ狂となったかについて、
前後2回に分けて書いた記事のうち、1回目分の再掲(*)です。
残念ながら、テキストとして残っていたのは1回目相当分のみ、
2回目は残っていませんでした。また、一部欠落もあったので
公開当時の記事の内容を思い出しながら、書き足しています。
2回目分の記事も大まかな内容は覚えています。機会があれば
また、新たに記事としてあげたいと思います。
*・・元の記事は2006年7月10日前後に公開されました。




TOQが「ビートルズ狂」となったいきさつをご披露します。
書いてるうちに長くなってきたので、何回かに分けて載せることにします。

もともとは7/3に書き始めた記事だったのでちょっと内容が
古くなっちゃったとこがあるんですが、、



今から40年前の7/2、この日本に
The Beatlesが滞在していた。

そのビートルズ 来日40周年の記念スペシャル番組
「ビートルズ・スペシャルナイト」(7/2 NHK-BS2)
をみた。
いや、見たなんてもんじゃない! ずっと前から
カレンダに赤丸つけて
待ち望んでいた。

なぜならば、
進行役の松本和也アナウンサー
に負けないくらい
TOQもビートルズファンだから!!!
違いはTOQはギターを弾かないことぐらい、
だって、ファン歴30年ですから。。

だから、
40周年という数字に、どれほどの意味が
あるのかわからないが、特集番組を組んで
頂けることはありがたかった。

前期の勢いのあるビートルズが好きか、
後期のミュージシャンとしてのビートルズが好きか、
人によって意見が別れるところだけど、
若い頃、ビートルズ・シネ・クラブフィルム・コンサート
に通ったこともあるTOQは
両方とも、好きだ!

だから、来日した当時の映像が見られるだけでも
嬉しかったよーん。


番組自体は、決して予定調和に収まろうとしない
トーク(泉谷とムッシュの丁々発止がサイコー)とか、
コダワリのコピーバンドのそっくりさ加減とか、
2時間半があっという間でモノ足りないくらい、
満喫させてもらった。
若いキンモクセイの演奏VTRの入れコミ具合は、
つんく♂のコピー演奏CD以来、キテルなぁと感じたし、、
  なんせ、TOQは若い頃、六本木「キャバーン」にも
  行ったことあるくらいなんで、「完コピさ加減」には
  ウルサイのだ。



1966年—
キョードー東京の招聘で
The Beatlesが東洋の島国、日本へ来日。
東京九段下の日本武道館が、史上初めて
ロックコンサートの演奏会場として使用された
たった5回の、最初で最後の、日本での公演。


リアルタイム世代ではないから、その間
日本中が興奮の渦に包まれていたこと
など知らない。

もっと時代が進み、ベトナム戦争が激化。
反戦フォークの影で、ヒッピーやフラワー
ムーヴメントの教祖として崇められてた頃
早い人は兄貴がレコード聴いてた影響で
その音楽体験をしていた。
TOQの同級生にもそういう人がいた。
―といっても、まだ「小学生」の話。

  いずれ稿を改めて書きたいが、TOQの
  ロック初体験は『5th Dimension』の
  「Aquarious〜Let the Sunshine In」であって
  ビートルズではない。
  だが、同時代のロックのビート(リズム感)
  はしっかりと感じていた。
  その原体験が、小学校3年生のときだ。


話をビートルズとの出会いに戻すと、
TOQの場合はレコードからではなくテレビだった。
小学校5年生のとき、
NHKの教育TVで不思議な番組に出会う。
Sesami Street(セサミストリート)だ。


当時はまだ、実験的な性格で放送してた
に過ぎず、おそらく誰も知らないと思うが
夏休みテレビクラブ」という放送枠で放映
されたときには、ちゃんと字幕も出てたし
時々女の人の声で
「ビッグバードは何をしているのでしょう?」
などというナレーションが入っていた。

それで、語学番組とは意識しないで見て
いられたのだが、本格放送枠に入ってからは
そのナレーションも字幕もなくなってしまう。


それで、小学生にして番組のテキスト
購入し始めた。。そこに「ビートルズ」の
文字があったのだ!

 その時のスキットはこんな内容だ。
 マペットの皆んながヘンな格好してる
 「これから皆んなで何処へ行くの」と
 ボブがきくと
 「Submarineさ」
 「Submarineって?」
  と呆れるボブ。
  そしてBeatlesYellow Submarine
  が流れて歌い踊る。


まだ、英語はよく聴き取れなかったけど
イエローサブマリンは何度も歌われるから
しっかりわかったし、テキストの解説文でそれが
ビートルズの曲」だということも覚えた。
Gmajを基調としたどこか切ない感じがする
メロディーラインが妙に耳に残った。

まだ、小学生には「切なさ」などわからないから、
実際には、Johnが歌っている低音パートの部分の
バックコーラスが、なぜかハッキリと聴こえてきて
長調なんだけどなんかちょっと悲しい感じっていう
不思議な感情として身体で感じていた。
  その切ない感じの原体験が先の5th Dimension
  のLet the Sunshine Inだったんだけどね〜



その次の出会いは中学の時だ。
TOQが中学1年のとき、AMラジオでやたら
流れている曲があった。
♪エルピー エルピー としか聴こえないその曲
御存知「レット イット ビー」だ。
同時に「バンドンダラン」もよく流れていたから
もうBeatlesは解散していたと思う。
(正しくは、WINGSの"Band On the Run"です)

同級生が次々と洋楽ロックに開眼していく中で、
TOQは圧倒的に情報が不足していた。
まだ、ラジカセを持っていなかったからだ。



なんせ、ウチには子供の頃からオープンリール
テレコが何台もあって、そのうち1台を自分専用に
もらって使っていたから、中学生になるまでウチに
カセットレコーダがなかったのだ。だから、ラジオ
から曲を録音するのが面倒で、、

これじゃあいかんと親にネダって買ってもらった
のが、SONY Studio1480 というラジカセ。
AM/FMチューナーにカセットレコーダー付き。
ダイヤル部分に感度を示す赤く点灯するLED
がハメ込んであって、それがカッコよくて一目惚れ!!
但し、録音はモノーラル。小型だから当然だね。


当時のマセガキは、まずAMラジオの深夜放送
を聴き始める。深夜といっても最初はヨル9時台
ニッポン放送(当時は1240)の「欽ドン」あたり。
次の段階に入るとオールナイトニッポンかな。
リクエストでかかる曲は、歌謡曲ばかりじゃなく
洋楽POPSもある。もっと、もっと聴きたくなる。
だから、TOQが雑音だらけのAMからFMに
主軸が移っていくのは、時間の問題だったんだ。

 その当時― 
 ステレオのチューナーで、FM放送からカセットデッキ
 に録音することを「エアチェック」と呼んでいた。
 まだレンタルレコード屋がない頃だから、月に何枚も
 LPを買えない中坊には有り難かっただろう。。
 でも、TOQには縁のない話だ。後で書くけど、、



最初にビートルズの曲をラジカセで録音したのは、
忘れもしないニッポン放送の、「まだ宵の口」なる
放送枠の中で「日立 Music in Hi-phonic」という
番組があって、そこで1週間ビートルズ特集した時。
それまで聴いたことのない曲が次々飛び出した。

バック イン ザ USSR
エリナー・リグビー
アクロス ザ ユニバース
タックスマン
ルーシーインザスカイウィズダイヤモンズ
エイトデイア ウィーク
サージャンペパー ロンリーハーツ クラブバンド

確かこんなラインアップで、この回は曲の頭文字
をつなぐと「BEATLES」になる趣向になっている。
曲名は耳だけが頼りで、聴こえた通りにカセットの
中紙に「カタカナで記入」してたハズだ。
しかし、これはまだビートルズのとっかかりに
過ぎなかった。



次なる衝撃の出会いは、映画「HELP!」だ。
なにぶんにも古い話なんで、ラジオとどっちが
先かを忘れてしまったのだけど。

当時、中高校生の間で第2次ビートルズブーム
が起きていたからなのだろうか。
ある時、TVで『HELP! 〜4人はアイドル〜』が
放映された。
ビートルズ情報に飢えていたTOQは、喰い入る
ように観た。映画の一部分については、TVから
ライン録音を試みてカセットに録音した。

 録音した部分は―
 スタジオでの録音シーン
 Johnの「アゥ ツー スリッ」のカウントで始まる
 ”You're Gonna Lose That Girl〜♪”
 から
 雪の中でのマントスキーとピアノが印象的な
 ”Ticket To Ride”
 までの部分とか。
 ラストの「りじーりじーりじー(Dizzy Miss Lizzy)」
 とか。

この映画では、とにかくタイトル曲の
「HELP」のコーラスワークが耳に残った。
サビ前の

 ヘルプみぃ ゲ まぁいフィ バこんざ グラァアーンド〜♪

のとこ、なんかゾクゾクさせる三声のハモリ
にシビレて、この時からTOQはいつか
あんな風にバックコーラスを歌いたい
と思うようになったのです。
ギター弾きたいぢゃなくてね(笑)



そして、その次に
TOQを「ビートルズ狂」にした最大の出会いが
待っていたのです!!!

前述のとおり当時、Beatlesはもう解散していた。
しかし、まだ解散したばかりということもあって
ようやく聴き始めたFM放送でもよく流れた。
さらに、その頃始めたエアチェックでTOQを
Beatles漬けにしてしまう決定的な番組に出会う。

FM東京 土曜日深夜1:00からの120分番組。
DJの本田俊夫さんのこんなフレーズで始まる。

  日本が生んだ世界のブランド、SONY。
  ただ1人のアーティストを120分に渡って
  フォローする「SONY BIG SPECIAL」
  Perfect BEATLES Super 9 Weeks
   (ジャーンとギターの音)

この特集番組が画期的だったのは、世間に
発表されたThe Beatlesの全ての曲を全部
オンエアしたこと。それも年代を追ってLPの
リリース順にそってだ。
レコードは高くてそうそう買えないから、
エアチェック派にとって待望の企画だった
と言っていい。

更にハンブルク時代のレコード(バックバンド)
やブートレッグ盤までオンエアされたのだ。

うまく録音できなかった分もあるが、とにかく
この時録音したカセットを擦り切れるまで
聴いたことが、Beatles原体験となってるんだ。

さらに初めて明かす話だが、
TOQは当時ステレオを持っていなかった。
---------------------------------------------------------------
だから、同級生たちが家でLPをかけ音像定位
(右のスピーカからギターが、左からはドラム)
を実感しながら聴いているとき、カセットから
流れてくるモノーラルの音でしか聴けなかった!
しかし、不思議なもので何度も聴いているうち
奥の方で鳴っているメロディまで聴こえてくる。
それは主となるメロディーとは全く異なるのに、
その2つが合わさると妙に気持ちがイイ。
そう意識すると、或るパートだけがハッキリと
聴こえてくるように、、
なんと、
TOQは知らないうちに必死で「耳コピー」
していたのです。

それでも、正確な歌詞まではわからなかった。
なぜなら、LPがないから歌詞カードがない!



しかし、
ここでまた新たな出会いがあるのですよ☆
今となってはなぜ、そんなところに行ったのか
わからないが、とにかくそこでBeatlesの曲の
奥深さを知るようになったのです。

そこは街の楽器店—
その当時のギター小僧がタムロするような一角。
棚には「リッチー・ブラックモア奏法」なんて
本やバンピー(バンドピース譜)が処狭しと並ぶ。
そんな中、Beatlesの名前を見つけて釘付けに。
中を開くと、LP単位に曲が載っててそこには
ちゃんと歌詞が書かれているじゃないか!!

レコードは買えなかったけど、代わりに
シンコーミュージックのスコアを購入した。
これで歌詞を手に入れられる!

*****************

予算も限られていたし、その場でさんざ迷って
購入したのは「Abbey Road」

菊倍版という独特なサイズで、かなり大きな本。
ピアノアレンジされたメロディーラインに加え、
ギター用のTAB譜やドラムパートを示す音符、
そしてモチロン音符には英語の歌詞が載ってて、
先に録音したカセットでABBEY ROADの回を
流しながら、指で譜面をたどって何度も何度も
聴きまくって、正確に歌えるように練習した♪

まだ、楽器は弾けなかったけど、スコアの世界
に触れたことで、また新たな面を知ったのです。
これでますます、Beatlesにのめり込むことに・・


(第2回に続く)
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